カフェオレと牛乳の話
蕪木祐介さん連載「嗜好品の役割」第5回
2020.04.13
PEOPLE / LIFE INNOVATOR
連載:蕪木祐介さん連載
カフェオレの魅力
カフェオレが、たまに飲みたくなる。ミルクは珈琲の香りを隠してしまうから、普段はブラックで飲むことがほとんど。それでもたまにカフェオレが飲みたくなるのだ。それが私だけではないことは、何人かの常連さんの様子を見ていてもわかる。自分の店に関していえば、ミルクチョコレートと合わせるのにもちょうど良い。ミルクの入ったチョコレートを珈琲と合わせてしまうと、どうしても珈琲の繊細な香りを隠してしまうが、同じミルクを使ったカフェオレの優しい味わいは、ミルクチョコレートの濃厚な味わいをしっかりと受け止めて、互いの味わいを引き立ててくれる。
ところで、カフェオレとカフェラテ、カプチーノ、様々な牛乳を使った珈琲はあるけれど、その違いはご存知だろうか。ざっくりと、語弊を恐れずにいえば、フランス語の「カフェオレ」はドリップコーヒーを温めたミルクで割ったもの。イタリア語の「カフェラテ」や「カプチーノ」はドリップコーヒーよりも力強いエスプレッソにスチームミルクやフォームミルク(泡だてたミルク)を合わせたもの、である。エスプレッソ系のコーヒースタンドが多くなった今、カフェオレよりもカフェラテやカプチーノが主流かもしれないが、私の店ではドリップコーヒーをたてており、温めた牛乳と合わせてカフェオレを作っている。
濃厚なカフェラテやカプチーノと比して、カフェオレの魅力はその優しい味わいだと思っている。濃すぎず、しゃばしゃばし過ぎず、飲んでいて柔らかく、飽きのこない絶妙な味わいのカフェオレが好きだ。店では一杯あたり、たっぷり35gの豆を使ってゆっくりエキスを抽出し、乳の甘みを感じやすくするために、程よく60度程度に温めた牛乳を合わせて作る。使っている豆はスモーキーな香りが浮かず、爽やかさも程よく感じられる酸味のあるやや深煎りのブレンド豆。牛乳は岩手県岩手町で牧場を営む菊池牧場から届けてもらっている。
菊池牧場を訪ねて
菊池牧場とは1年半前に岩手・盛岡の喫茶店「羅針盤」を運営し始め、そこでご縁をいただいた。瓶詰めされた牛乳を初めて手に取ったときに、「これは濃厚そうだなぁ」と感じたが、実際飲んでみると、その先入観と反してとてもスッキリしていた。それでいて甘み、乳の香りが強く、とても美味しかった。それ以来、カフェオレやホットチョコレートにも菊池牧場の牛乳を使わせていただいている。その牛乳への興味が深まり、冬に入ってしまおうかという昨秋、菊池牧場を訪ねた。
盛岡から北へ約50キロ。車で1時間強。標高500mの山の中に、菊池牧場はある。菊池家のお母さん、菊池暢子(のぶこ)さんに送っていただいた道案内に従い、畑や田んぼの風景を抜け、民家がなくなり、町営の牧場を過ぎて更に進むと、その山の中に菊池牧場がある。そこでは暢子さんはじめ、主人の淑人さん、息子さんたち、そして犬や猫などの動物たちが温かく迎えてくれた。ご自宅のそばには、乳などの加工場、さらに歩いて山を登ると、森に囲まれた場所に開けた牧草地が広がり、牛たちが思い思いに過ごしている風景がそこにはあった。面積は125haと東京ドーム25個分以上。とにかく広い敷地に100頭近くの乳牛を飼育している。
自然や動物と共生する放牧酪農
菊池牧場は淑人さんのお父さんが埼玉で牧場を営んでいたことが始まりとのこと。その時代は使わなくなった稲俵なども飼料にしていたそうだが、やがて米が俵から紙袋、ビニール袋に移り代わり、一番大切な飼料作りから畜産業を行いたいとのことで、岩手町に移り切り拓いた場所。それを淑人さんが引き継ぎ、今は家族で営んでいる。
彼らは「放牧酪農」に取り組んでいる。一般的に牛舎で飼われている乳牛だが、菊池牧場の牛たちは春から秋にかけては放牧され、自由に牛舎と外を行き来している。牧草地には在来野草が自生し、そこで、食べたいものを食べ、育っている。なんとも動物として自然な形の生き方をしている。冬は牛舎に入るが、そこでも濃厚飼料などは与えず、春夏に育てた牧草を与えて育てるとのこと。一度濃厚飼料を与えると、野生の草を食べなくなってしまうようだ。濃厚飼料を与えられ、牛舎で育つ乳牛と比べると、放牧牛の泌乳量は半分程度となってしまう。しかし淑人さんたちは風土や自然に即したあり方を求めて、今の方法で行なっている。きっとたくさん量を作る必要がないのだろう。いや、量を作るために無理をして、そこでないがしろにしてしまいがちな大切なものを守りたいということなのかもしれない。
このような酪農で一番特徴的なのは、季節によっての風味の変化が大きいことだろう。放牧牛は季節によって食べるものも、食べる量も変化する。夏の緑が青々と茂る時期には、水分の多い青草を食べること、水をたくさん飲むことで、乳成分の値が下がり、さっぱりとした味わいになり、餌を食べる量が増える秋や雪深く、牛舎で乾草を食べる冬にかけては牛乳も濃い味わいとなる。なるほど季節で全く味の異なる牛乳の所以がわかりがってんである。風味が変化することで困る加工業者は多いかもしれないが、夏には少し軽やかに、冬にはこっくりとしてくる四季のある味わいは、私たちのカフェオレやホットチョコレートの大きな特徴の一つだ。同時に、自然に体が欲する味わいのようにも感じている。
さらに、菊池牧場では低温殺菌の牛乳を作っている。多くの牛乳は連続的、効率的に大量の乳を加工することができる「超高温殺菌」(120℃~150℃ 1~3秒)が採用されている。それに対して菊地牧場の牛乳は「低温殺菌」(65℃・30分間)で作られている。熱による乳成分の変化が最小限に抑えられ、生乳本来の風味に近くなる。と、これは大学時代、奇遇にも同じ岩手の大学で畜産・動物学を学んでいた私の頭に残っている情報であり、少し教科書的な知識だ。しかし、情けなくも実際どこまで味が異なるのかは実感としてわかっていなかったので、後日たくさんの牛乳を取り寄せて改めて飲み比べてみた。菊池牧場の牛乳の香り高さは実感していたが、比較するとより顕著で、すっきりとした喉越しと豊かな香りだ。それに比べて高温殺菌牛乳が劣るかと言われたら、美味しい。ただ、熱がかかり、タンパクや糖分が変化しているからだろうか、コク深いもの、甘みが強いものが多い。もしかしたらカフェラテやカプチーノなど、エスプレッソと合わせるのであれば、熱がかかった牛乳の方が良いのかもしれない。別な美味しさだ。
今できる最善を
また、菊池牧場では、役目を終えた乳牛から加工肉も作っている。乳牛の肉ではあるが、そもそも放牧牛。一般的に牛舎で飼われている乳牛と、草を食べ、自由に歩き回る乳牛では肉質は全く異なる。必要以上の脂肪がない締まった肉になるのだろう。加えて、中学卒業後、3年間ドイツとオーストリアで食肉加工を学んだ淑人さんの加工技術が加わり、これもまた美味しい加工肉なのだ。岩手の羅針盤ではそのソーセージをチーズと合わせてホットサンドを作っているし、自分の家の食卓にも週に一度は並べている。美味しさはもとより、非効率、手間はかかっても、思想のあるその仕事に惹かれる。
「こだわりではなく、私たちが大切にしたいことで、今出来る事をやるだけです」
酪農家も減っている中、きっとこれまでも一筋縄ではいかなかったことなど、容易にわかる。たくさんの壁を乗り越えてきたのであろう。土地を愛して、人や環境、持続的な農業について考えを深め、自分たちの想いを貫いて仕事に励む菊池家の皆さんは、優しくて、たくましかった。
その言葉は、自分の励みにもなっている。完璧に何かしようと思うと、どうにもならないことに対して、とても心理的ストレスがかかる。それは金銭的なことであったり環境的なことであったり。できないことがあっても、知恵と自分が持っている技術を使って、最善を尽くすのみ。他人、同業の評価を気にしすぎず、自分たちの思想を深めながら、粛々と仕事をこなしていきたいと改めて思う。それを繰り返していくことで、菊池牧場のように、仕事の姿勢を通して、人に美味しさの先の「何か」を与えることができるようになるのだろう。
蕪木祐介(かぶき・ゆうすけ)
岩手大学農学部を卒業後、菓子メーカーに入社。カカオ・チョコレートの技術者として商品開発に携わる。2016年、自家焙煎の珈琲とチョコレートの喫茶室「蕪木」をオープン(2019年12月移転、再オープン)。2018年には、盛岡で40年以上愛されてきた喫茶店「六分儀」(2017年11月に閉店)を、佇まいはそのままに「羅針盤」の名前で復活させた。著書に『チョコレートの手引』、『珈琲の表現』(共に雷鳥社刊)。
http://kabukiyusuke.com/