飲食店は何のためにあるのか? 01
飲食店から受けた影響は計り知れない。
東京・西荻窪「オルガン」紺野真さん
2021.06.10
text by Sawako Kimijima / photograph by Instagram @organ_tokyo
シリーズ【飲食店は何のためにあるのか?】
東京・西荻窪「organ(オルガン)」、三軒茶屋「uguisu(ウグイス)」を営む紺野真さんは、2021年4月24日、3回目の緊急事態宣言を受けて、SNSに「#飲食店とは口に入れる物だけを提供している訳ではない」という投稿をしました。感染リスクの観点から「飲む」「食べる」に焦点が当たるあまり、飲食店が飲食を超えて人々の人生や心理と深く結び付いた場であることや、人間の内面や社会に豊かさをもたらす存在であるといった側面が語られずにいるもどかしさ。その思いに共感する人は多いのではないでしょうか。
紺野さんをトップバッターとして、食のプロたちに飲食店の存在意義や尊厳を問い掛けていくシリーズをスタートさせたいと思います。
問1 現在の仕事の状況
ブランチとテイクアウトから社会のニーズを読み取る。
2021年5月現在、「ウグイス」は休業、「オルガン」はブランチとテイクアウトのみの営業としています。制限が増えていく中で、「今、何ができるのか」をみんなで考えて出した結論です。
ブランチを始めたのは今年(2021年)の1月9日から。予約は取らず、ご来店順に席へご案内しています。夜は、20時閉店要請を受けて17時一斉スタートのお任せコーススタイルをとっていましたが、3回目の緊急事態宣言でテイクアウトに切り替えました。
ブランチで提供するのは、オーダーが入ってから作り上げるタイプの肩の力が抜けた料理です。テイクアウトは、A:フランス郷土料理、B:世界を旅する料理、C:野菜料理とサラダ、3つのラインナップを用意しています。やる以上は前向きに取り組みたい。旅行に行けない今、 少しでも異国情緒を感じてほしくて、大久保や五反田のディープな食材店へ買い出しに行っては様々な国の料理に挑戦しています。
人数や時間が制限され、アルコールが禁止されても、僕たちが営業を続けるのは、やはり「お客様の喜ぶ姿を見たい」ということが大きいと思います。お客様が喜んでくれているのを見るのが、我々レストランで働く者の最高の喜びだと思いますし、ただテイクアウトだけを延々とやっていると、まるで工場で機械のように働いているような気分になってしまいます。直接お客様の反応を見ることで、僕ら自身のモチベーションを保ったり、精神のバランスを保てているような気がします。また同時に、ご来店されたお客様と直接会話を交わすことで、世の中の声を聞きたいということもあります。人々は僕たちに何を求めるのかに耳を傾けたい。飲食店に対して、「オルガン」に対して、人々が求めているものを感じ取りたいと思うのです。
2月中旬、インポーターのラシーヌさんの協力でフランスのワイン生産者とオンラインで語り合う食事会を実施しました。コロナ禍だからこそ、彼らのワインを遠く離れた日本で楽しんでいることを彼らに伝えたかったし、お客様に現地の雰囲気を味わってほしかった。
僕にとってワインもワイン生産者もかけがえのない存在です。でも、今春の緊急事態宣言下ではアルコールを一滴も提供していません。
政府の方針により、飲食店が陥っている現実に理不尽さやもどかしさを感じていますが、政府や自治体の要請はすべて順守しています。様々な立場の飲食店があり、それぞれが苦渋の決断をしていると思いますので、一つの答えだけが正解ということはないと思います。また、僕と違う選択をした飲食店を非難するつもりなどまったくありません。ただ、オルガンというお店として、またその店主として、恥ずかしい行ないはしたくない。と常日頃思っています。
それは、僕が最近、「飲食店は学校である」と思うせいかもしれません。
問2 あなたが考える「飲食店の役割」とは?
飲食店は学校である。
「飲食店は何のためにあるのか?」という問いを投げ掛けられると、僕は東日本大震災を思い出します。
あの日、僕は三軒茶屋の「ウグイス」にいて、震災当日の夜も営業していました。余震が続く中で、常連のお客さんが次々と集まってきた。気付けば「一人で家にいるのが怖い」人たちにとっての避難所になっていました。
日常生活に組み込まれて繰り返し通ったお店は、人生の一部になります。馴染みの空間に顔見知りの仲間がいる「ウグイス」は、たぶんどこよりも安心できる場所だったのでしょう。
そう考えると、飲食店には場所が必要だし、飲食店とはいろんな思いの集合体なんだと思うのです。作り手の思いの詰まった野菜から肉から、内装から、音楽から、サービスから、その集合体が飲食店であって、そこで行なわれるのは食べるという行為だけれど、口から摂取するだけではなくて、いろんなものを摂取している。それはホスピタリティかもしれないし、人の正しいふるまいかもしれないし、センスかもしれない。
自分の人生をさかのぼると、自分の人生に多大な影響を与えてくれたのはカフェでした。カフェのような日常使いのできる、人々の日常のルーティンに組み込まれた店を、僕個人はやりたい。
最近、飲食店って学校だな、と感じています。スタッフが増えて、彼らの巣立ちを経験するようになったせいもあるかもしれません。
料理を提供するスタイルとしてテイクアウトやデリバリーが今、必要とされていることはわかる。出張料理という生き方の可能性も理解できる。でも、僕にとっての飲食店ではないし、今やっているテイクアウトを永遠に続けることはできないですね。
「#飲食店とは口に入れる物だけを提供している訳ではない」というメッセージを発した根底にはまた別の経験もあります。
2017年の年末、 野村友里さんの企画・演出によるライブパフォーマンス「食の鼓動─inner eatrip」に参加しました。ハンターの銃声で始まるそのライブは、ミュージシャンの奥に張られた幕の中で、料理人が鹿肉を捌き、調理するというもの。ピアノやギターが奏でる旋律、太鼓のリズム、ベースの弦の爪弾き、タップを踏む音に、包丁で肉を切る音、刻む音、フライパンで焼く音、鍋で煮る音が重なり合い、同時に匂いが会場に立ち込めていく。聴覚と嗅覚だけで食を感じる、食べずに食を体感するという画期的なイベントでした。
私は幕の中で調理を担当していて、食べるとは口だけで行なうものではないと、つくづく思いました。
人間は身体と心、両方で形作られている。身体はビタミン剤や点滴で維持されるかもしれないけれど、心が健康でいられるためには何を栄養にすればいいのか? もしかしたらそれこそ飲食店がお客さんに与えているものかもしれないですよね。おいしいっていう味覚もあるかもしれないし、もしかしたら音楽かもしれないし、やさしいサービスの言葉かもしれないし、そういうもので心が満たされる。心が栄養を摂っている。
人間がそういうことをできるならば、牛だって豚だってできるかもしれない。豚とか牛とかが育つ環境って、ケージの中で育っている鶏と野生の鳥とでは、彼らの心の健康の状態って違うかもしれない。野菜もそれは同じだし、それを僕らは食べているわけであって、飲食店はそういう連鎖の中のひとつだと思うわけですよ。
問3 飲食店の存続のために、今、考えていること。
戦わずして続けられる飲食店とは。
僕の勝手な解釈ですが、最近の社会状況を見ていて、「地球環境のサステナビリティとコロナ禍は似ている」と感じます。今日を生き延びるために、深夜営業をしたり、接待を伴うアルコールの提供を続ける店などもある。けれど、それは1軒の店の存続を超えて社会全体の崩壊につながりかねない。今の便利を優先させることが未来の環境破壊を招きかねないことに似ているなぁと思います。
この1年、社会を見つめ、耳を傾け、人々が何を求めているかを探りながら、創意工夫を重ねてきました。苦労した分、得たものも多い。困難に対処するスキルを身に着けたのではないかと思います。
とはいえ、元々が競争の激しい東京の飲食業界にあって、コロナ禍の中で飲食店を続けていくことは極めてストレスフルです。他者との戦い以前に、存続という問題と闘わねばならない。
今、僕が考えていることは、戦いに向かないタイプの人間も続けていけるような店のあり方って何だろうということです。「ウグイス」を再開する時には、そんな飲食店のあり方を探りたい。東日本大震災の時に「ウグイス」が避難所になったように、飲食店がお客さんにとって安らげる場所になり得るならば、働く人間にとっても戦いの場ではない飲食店のあり方を模索したいと考えています。
【動画】インタビュー・ダイジェスト版をご覧ください。
◎organ(オルガン)
東京都杉並区西荻南2-19-12
☎03-5941-5388
12:00~15:00 ブランチ(予約不可)
17:00~ テイクアウト販売(売り切れじまい)
Facebook:@organtokyo
Instagram:@cafe_uguisu
上記は紺野真さん個人のInstagramアカウント。お店の取り組みや、飲食店に対する自身の考えなどが日々綴られています。キャンプ道具や愛猫2匹も時々登場。