‟いのちのてざわり”に触れる
フィッシュボート・スープから始めよう
2019.10.31
text by Kaori Shibata
2017年に第一回目が行われた「リボーンアート・フェスティバル」は、宮城県牡鹿半島、石巻市を舞台にした「アート」「音楽」「食」の祭りだ。“リボーンアート”とは、人が生きる術を示唆しているのだと言う。生きる術を意識する場所として、東日本大震災でゼロからのスタートを余儀なくされたこの地は、ある意味必然の場所だ。
今年、同フェスの「食」は、フードアドベンチャーという企画を提案。東京・神田のレストラン「ブラインド・ドンキー」のジェローム・ワーグさんと原川慎一郎さん、両シェフをフードディレクターに迎え、開催期間中の8月3日〜9月29日に様々なイベントが用意された。二人のシェフが掲げたコンセプトは「Before we cook — the nature of food」だ。イベントの一つである「フィッシュボート・スープ」を体験するため、現地を訪れた。
漁船に乗り、“いのちのてざわり”に触れる
石巻に着く前から、“いのちのてざわり”という言葉が頭の中でリフレインしていた。これは「リボーンアート・フェスティバル」の今年のキーワードなのだが、この言葉をある番組で、同イベントの実行委員長である小林武史さんが、自社農場で出来たてのモッツアレッラチーズをゲストに出しながら使っていたのを思い出していた。「食べ物が生まれる場所は、いのちのてざわりを感じやすい」という内容の話は、今、食に求められる役割が、お腹を満たすとか美味しいとか楽しいとか、とは違った次元に入っていることを実感させたのだ。
リボーンアート・フェスティバルの会場は点在している。アート作品もイベント会場も、車窓から注意深くポイントを探すと、ここ?と言うような場所にフラッグが立っている。フードアドベンチャーの基地、もものうらビレッジも、海を見下す山の斜面に忽然と現れた。
案内人は、レストラン「ブラインド・ドンキー」のシェフ、ジェローム・ワーグさんと、石巻で復興の象徴となった人気カフェ「はまぐり堂」のオーナー兼漁師、元宮城県水産高等学校教員の亀山貴一さん。最初に、全体のコーディネートを行う「フードハブ・プロジェクト」真鍋太一さんからスケジュールの説明を受けた。「まず、漁船に乗って刺網漁、籠漁を体験します。その後、ジェロームの指示に従って、採れた魚を使って皆でランチを作ります。水産高校の生徒さんが一緒に参加しますので、彼らの魚の缶詰作りのワークも同時並行で行います」。
浜に移動して、私達は御歳90歳のベテラン漁師、甲谷 強さんの船に乗った。船は想像よりも小さく、個人の釣り船のようだった。背筋のピンとした甲谷さんに、「どうしてそんなしゃんとされているんですか?」と一同が釘付けになった。「網にかかった小さいメバルなんか、売り物にはならない小さいやつを、骨ごと叩いてなめろうにしたり、つみれにして汁に入れて食べてきた。それが骨を強くしてくれた。膝が痛くなったことなんて一回もない」。圧倒的な説得力だ。こういう出会いも、いのちのてざわりの一つなのかもしれない。甲谷さんから、生命力や背景にある土地の食が伝わってくる。
震災後は海の生態系もずいぶん変わったのだそうだ。これまで採れていた魚が採れなくなったり、逆もある。石蟹という小さな蟹は、震災後から採れるようになった。
高校生たちの乗った漁船は、前日に仕掛けた籠を引き上げた。狙いは穴子。23個繋がった籠が次々引き上げられたが、穴子は5匹。他の魚の方が多い。私達の刺網にも、ソイ、タナゴ、メバル、ドンコ、ウマヅラ(カワハギ)など色々な魚がかかった。
船を陸につけ、魚を網から外す作業が始まった。地元の人たちは「脱がす」という。コツが分かれば、網を緩めて頭からスポンと魚が抜ける。が、素人がやると、逆に網で魚の身を締めてしまい、焦る。ジリジリ照つける太陽を背中に感じながら、黙々と網と魚と格闘する。魚が結構捕れたのと、網から外す作業に時間かかったのとで、ランチの準備が大幅に遅れてスタートした。ここからは、ジェロームさんの出番だ。
漁師スタイルのフィッシュボート・スープが完成
「南仏の本場漁師スタイルのブイヤベースを作ります。小魚や石蟹は、火が通ったら叩いて細かくすりつぶし、これを鍋に戻して濃厚なスープを取ります。大きな魚は、このスープで炊きます。南仏では、最初にスープとパンを一緒に食べて、後から大きな魚にスープをかけ、サビというソースと一緒に食べます」。
サビは、卵黄、酢、パプリカとニンニクを合わせたコクのあるソース。「ここに生えているプルピエ(すべりひゆ)とトマトでフレッシュなサラダも作りましょう」。
石を組み、火を起こし、洗った魚介類と塩と白ワインだけで煮込む。さっきまで魚を採っていた海が、庭から見える。海風が吹いて、火が燻り、薪が香る。大鍋のスープはなかなか沸かない。薪の煤がスープに入ってしまうのを心配したら「それが風味の一つだから、あえて蓋はしない」とジェロームさん。「最初からフィッシュボート・スープって名前にしようと思っていたんだ」。
大量に採れたタナゴは二枚におろして干物を作ることになった。高校生たちも黙々と魚をおろしている。彼らは有志で参加したメンバーで、調理科とフード科の生徒。フード科は主に食品加工を学び、缶詰作りはお手のものだ。しかし、漁から参加するのは、今回が初めて。今日は、このフィッシュボート・スープが缶詰になった。
ジェロームさんは「牡鹿半島全体のランドスケープをスープで感じて欲しい。魚を食べた時に、川や山、風土全体を感じて欲しい。高校生が漁から参加して、調理して、食べて、さらに缶詰にするという取り組みで今後につなげる。一連の流れで食を知ることが大事だ」と話す。この企画を、高校に提案したのが亀山さんだ。自分が教鞭をとっていた水産高校に赴き、参加を促した。
「東日本大震災で浜は壊滅しました。当時、自分にとって学校の教師と浜の復興の両立は難しかったです。震災から2年後、復興に専念するようになりました。浜に人を再び呼ぼうとカフェを立ち上げました。自分で食材を調達するため漁師になりました。人が浜に戻った今、考えるのはこれから何が残せるかということです。高校生たちにも、学生の時から地域に何ができるか、選択肢を広げることができたらと思い、今回の企画になりました。リボーンアート・フェスティバルは、外から人が来て、その時限りで終わるのではなく、先に残せることをやるべき。住んでいる人にとっても、地域の再発見の機会になれば良いと思うのです」。
「日本人よ、大地に戻れ」
スープは、何かの魚が目立つこともなく、丸い優しい味わいに仕上がった。サビソースが良いスパイスで、パンの代わりに日本らしく、ご飯にスープをかけて皆で食べた。
残ったスープを小さな缶詰製造機でいくつかの缶詰にした。完成品がジェロームさんにも手渡された。完成品といっても、プロジェクトはこれがスタートだ。このスープがブラッシュアップされて商品化されるかもしれないし、全く違う商品のアイデアが、このスープから生まれるかもしれない。
イベントが終わっても、この缶詰は、東京のレストラン「ブラインド・ドンキー」のジェロームさん、そして石巻の海と高校生たちを繋いでいる。東京と石巻のコミュニケーションが、これからどんな結果にたどり着くのかを、この場に立ち合った一人として追っていきたいと思う。
「2年前に初めて石巻を訪れました。牡鹿半島は、海と山の距離が近くて、いい場所だなという印象を持ちました。日本は今、農業も漁業も大きな問題を抱えています。食材が育つ場所から離れると、大人も子供も本来の味覚を失う。若い人たちは、今だからこそ地方で、新たに大地を耕す時です。大地に戻るというのは、過去に戻ることではありません。自分たちが、何を食べているかが自覚できることが、これからの未来に大切です。私は、日本の皆さんに”Go back to the land, Japanese.” と呼びかけたい」。
ジェロームさんの投げかけた言葉は、今も静かに心に響いている。石巻での一日を思い返すと、食べ物の産まれる場所、自然に存在したものが食材になって行くまでの過程の中にこそ、生きる術があるのだと思う。フィッシュボート・スープのプロジェクトが継続する過程で、缶詰が単に未利用魚を生かす商品企画としてではなく、人々を、実際に食べ物の生まれる場所へと誘うメッセージとなることを密かに望んでいる。