新しいまちづくりと「食」のあり方 「2020年のファストフード」―「レフェルヴェソンス」生江シェフが試作 | 料理通信
1970.01.01
“2020年の東京湾岸エリア。東京オリンピック・パラリンピックには、国内、海外からたくさんの観光客が集まり、この世界最大のスポーツイベントに酔いしれている。中でも湾岸一帯は、晴海の選手村を中心に競技会場が集中し、また豊洲には2016年に築地から市場が移転したこともあり、ひときわ賑わいを見せるエリアだ。ランチ時ともなると周辺の飲食店は大忙し。寿司、そばなどの和食店は当然観光客に大人気だが、長い期間中、食事にそれ程の予算が掛けられない人々が向かうのは、なんといってもファストフード。中でも、とあるフレンチレストランが最近豊洲にオープンしたサンドイッチ店が評判だ。安くて美味しい上にヘルシー。それに素材も“日本をアピールできる”ものが使われているそうだ・・・。“
こんな空想を実際に形にした“ファストフード”を試食できる機会が、2014年11月、東京の江東区豊洲であった。
「TOYOSU会議」からのランチ依頼
その“ファストフード”を作ったのは、本誌ではお馴染みの西麻布「レフェルヴェソンス」の生江史伸シェフ(プロフィールはこちら)。言うまでもなく東京で今、最も注目されているフレンチのシェフだ。生江シェフがけん引する「レフェルヴェソンス」は、2014年「アジアのベストレストラン50」で25位にランクインされただけでなく、グルメサイトのフレンチ部門のランキングでも東京のトップをひた走っている。生江シェフがこの“ファストフード”を用意することになったのは、「TOYOSU会議」というある集まりのためにランチを作ってほしいという依頼が、その事務局から寄せられたためだ。
「TOYOSU会議」とは、築地市場の移転予定地に隣接する20ヘクタールの土地を所有する東京ガスが、この銀座から3kmという“新豊洲”の開発に当たり、元オリンピック陸上選手の為末大氏に依頼して設立した、いわばこれからの東京のまちづくりを考えるためのシンクタンクだ。「TOYOSU会議」では「SPORT×ART」という活動コンセプトを定め、東京オリンピック・パラリンピックに向けての盛り上がりをその場限りで終わらせず、その「レガシー」をまちづくりに活かすことを提唱し、老若男女、健常者、障害者の境目もない誰もが暮らしやすいユニバーサルなまちづくりを目指すものだ。メンバーには為末氏のほか、都市計画専門家の清水義次氏やロンドン・パラリンピック選手で現役慶大生の高桑早生氏、義足エンジニアの遠藤謙氏、アートデイレクターの栗栖良依氏が名前を連ねている。
この日は第3回目の公式会議。まさにこれからのまちづくりの現場となる土地の空気を感じながら議論をという意向を受けて、東京ガス所有地内の植樹エリアに作られたアートフェンス、「風の色」前のウッドデッキに大型テントが設置され、そこが今回の会場となった。「風の色」は「SPORT×ART」の象徴としてNY在住のアーティスト、曽谷朝絵氏によってデザインされものだ。
2020年のファストフードはスローがいい
生江シェフへの依頼は、第1回、第2回の会議の中で、新しいまちづくりには「食」のあり方が大きな位置を占める、という意見が清水氏からあげられ、それを受けて新しい東京の形を表す食事を考えてほしいというもの。それに対する生江シェフの答えは「2020年、豊洲で食べるスローなファストフード」だった。「世界中から集まる人々にはもちろん日本の味を楽しんでほしい。とはいってもそうそう贅沢ばかりもできない。そんな時にこんなファストフードが東京で普通になっていたら、という思いで考えたものです。」
会場には大型キッチンカーが運び込まれ、この日の参加者、関係者にはその場で出来立ての生江シェフ特製“ファストフード”がサーブされた。見た目はスープとフライドポテトがついた、ごく普通のサンドイッチ・セット。しかし中身にはTOYOSU会議のまちづくりの視点に賛同して、東京の食をより良くしたいという生江シェフの思いが詰まっていた。
これからの日本の環境を考えて食材を選ぶ
このメニューには、次のような意図が込められているという。
「ジャガイモは圧倒的に高いデンプン蓄積率を持つ作物です。これからも人口が増加していく地球の将来は、ジャガイモによって支えられるかもしれない。」だからフライドポテト。といってもそこは生江シェフならではの工夫が凝らされている。千葉県「エコファーム アサノ」のオーガニックのキタアカリを使い、低温、高温と2回に分けてじっくり揚げたポテトを袋に入れ、桜チップのスモークを充填。袋を開けるとふわりと煙を香りが立ち上る仕掛けだ。
そしてメインのサンドイッチ。肉にイノシシを選んだのは、「今、日本各地の農業はイノシシとシカによる獣害に悩まされていて、駆除をしてもまだまだその肉の活用は進んでいません。穀物生産の少ない日本なのだから、こうした肉を使わない手はない。ましてや、おいしいんだし。」
今回のサンドイッチに使われた猪肉は栃木県那珂川町産。那珂川町では近隣のハンターと連携して、罠で捕獲したイノシシを獣肉処理場職員立ち会いで屠殺し、徹底した衛生管理のもとに解体処理された肉を流通に出している。「罠のところまで行って、この目で屠殺の現場も見てきました。処理場での解体処理も視察して、いろいろな部位を持ち帰って試作を重ねた結果、モモ肉を選びました。」
サンドイッチのパンは、生江シェフの盟友、大阪「ル・シュクレ・クール」の岩永歩シェフが、この日のために試行錯誤して焼いた全粒粉のパンを使われた。酸味と食感のバランスが、柔らかくコンフィされたイノシシのモモ肉とは絶妙のマッチング。岩永シェフは、飲食店と障害者を結ぶ「エッセンス」というNPOを主催していて、当日もわざわざ大阪からパンを持って会議に駆けつけてくれた。
これに合わせたスープはクラムチャウダー。それもアサリではなく東京湾産のホンビノス貝を使ったチャウダーだ。ホンビノスは、アメリカからタンカーのバラスト水に入ってやってきた外来種で、それが東京湾の環境に適応して大繁殖したものだ。今ではアサリやハマグリと並んで、東京湾の“特産”ともいわれるほどだが、実はこの貝、元々の生息地であるアメリカ沿岸では、ボストンクラムチャウダーに使われる貝として有名で、そういう意味ではこの日のものは正統派クラムチャウダー。「もともとクラムチャウダーが大好きなんです。外来種とはいえ、ホンビノスはすごくおいしい貝だし、このグローバルな時代、外来種を否定するだけでなく、活用することも考えないと。」
いずれもこれからの日本の環境に配慮した食のあり方を提起しつつ、何よりおいしさにこだわった、まさにスローなファストフードだった。この“ファストフード”のコンセプトとその美味しさには、この日の会議参加者からも絶賛の嵐。会議序盤は、豊洲の食についての議論が盛り上がった。
スローなファストフードを堪能したあとのコーヒーは、日本のスペシャリティコーヒーの先駆者である「堀口珈琲」の伊藤亮太社長自らが、ハンドドリップで淹れたエチオピア。その芳醇な味と香りは、為末氏をはじめ、TOYOSU会議のメンバーが真剣な議論に入るための格好の刺激となる一杯となった。