20年に及ぶフィールドワークが生み出すネパール料理の新しい世界
東京・豪徳寺「OLD NEPAL」本田遼
2025.01.09
text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda
ネパールに魅了され、通い続けて20年弱。東京・豪徳寺のレストラン「OLD NEPAL(オールド ネパール)」の本田遼さんは、料理が“気候風土(土地)×民族(人)×歴史(時間)”の上に築かれることを深く知る料理人だ。現地仕込みにして表現力豊かなその味は、ネパールへの興味をかき立てると同時に、「ガストロノミーの新しい扉はここにあったか・・・」と料理界の突端の裂け目を垣間見た気分にさせてくれる。
目次
本田遼(ほんだ・りょう)
1983年生まれ、兵庫県神戸市出身。専門学校を卒業した後、様々な職を経験しつつバックパッカーとして世界を旅して回る。23歳の時にネパール料理と出合う。以来、料理人として働きながら、ライフワークとして毎年ネパールに1~2か月滞在。現在もレストランのオーナーシェフ業と並行して、ネパール各地でのフィールドワークを通してネパールの食文化を探求し続けている。18年に結婚した真理さんは、遼さんの最大の理解者であり、フィールドワークに欠かせない良き相棒。店ではサービスとドリンクを担当し、ゲストへの解説役を務める。
地域や民族を超え、市場で家庭で食堂でつぶさに見る、文化人類学的アプローチ
「ネパール料理の文化人類学的な探求」と本田遼さんは言う。
ネパールへ初めて行ったのは2006年、23歳の時だった。以来、毎年数カ月滞在しては、フィールドワークを続けている。現地の人々の食卓を支える市場を訪ね、ホームステイ先の台所や食堂のキッチンで、彼らが日々食べている料理の調理プロセスを見せてもらう。
「20年近く通ってなお、文献など書き記されたものに出会わない。自分の足で訪ね歩くしかないですね」
フランス料理のように体系化されていないから、正しく習得しようと思ったら、各地に現存する“実態”のひとつひとつを追う必要があるということだろう。
「セントラル」のヴィルヒリオ・マルティネスがペルーの伝統的食材とその利用法の調査・研究をチームで行なっているが、そのネパール版を6年前まで1人で、結婚してからは真理さんと2人で、できる範囲で地道に取り組んでいるわけだ。ごく一部ながらインスタグラムのストーリーズにアップされた写真と動画を見ると、なるほど、本田遼という料理人を形づくる構成要素の独自性、レストラン「オールド ネパール」の向こう側の世界の広がりを感じずにはいられない。
「作る工程に文化がある」という遼さんの言葉は、フィールドワークあればこそ。
「ネパール料理は構造が複雑なわけではないんですね」。著書『ダルバートとネパール料理』(柴田書店/2020年刊)を読むとわかるが、使用するスパイスは基本4種(ターメリック、クミン、チリ、フェヌグリーク)、調味料は塩だけ、食材の種類も多くない。料理のカテゴリーもカレー、豆スープ、野菜炒め、箸休めなどシンプルだ。
「ただし、バリエーションは限りない。というのも、多民族・多言語国家――100以上の民族がいると言われる――で、8000m級の山が立ちはだかる標高差の大きい地形。標高が違えば植生も異なり、しかも民族間の交流が希薄。地域や民族によって調理の細部が様々に変化するんです」
だから、様々な土地へ赴き、調理プロセスを実地に見ることによって、民族や地域ごとの差異を把握していく。その作業を積み重ねることで、ネパールの食文化の全体像を俯瞰し、解像度を上げてきた。
「それぞれの地域の風土が食材を生み出し、ネパールの人々はそこにあるものを活かして暮らしを営んできた、ということがよくわかる」
友人がいることもあって主にネワール族とタカリ族のフィールドワークを重ねてきたが、近年はライ族、リンブー族、タルー族などの文化も掘り起こしている。
「体験の蓄積は何物にも代えがたいなと思います」と語るのは真理さん。最近では、ネパール人から「ネパール料理をよく知っているね」と言われることが増えたそうだ。
「ネパールが好きで好きでたまらない」
それにしても、なぜ、ネパールなのか?
元はと言えばバンドや絵をやっていた。それだけでは食べられなくて、和食店やとんかつ屋で働いた。そこでたまたまスパイスカレーと出会い、ネパール料理店へ仕事場を移す。ならば一度は本場へ行かねばと、出向いたネパールで食べたダルバート(ネパールを代表する代名詞的料理スタイル)に衝撃を受けた。バックパッカー歴が長く、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど、いろんな土地のいろんな料理を食べてきたが、こんなにも沁み込むようにスーッと身体に入ってくる料理は初めてだった。
「ポテンシャルをものすごく感じた・・・」
日本に帰ってすぐにネパール語を習い始め、3カ月後に再びネパールへ。それからネパール通いが続いている。
「ネパール語って、発音がむずかしい。日本語の50音に相当するものが300音くらいあるんです。発音が通じにくくて、最近は言い換えが上手くなりました」
真理さんは、遼さんの行動原理を「圧倒的なネパール愛」と表現する。「出会った頃は『ネパール人の血と入れ替えたい』と言っていた」というからハンパない。「ネパールが好きで好きでたまらない。ネパールにしか興味がない」とは本人の弁だ。
ネパール料理のポテンシャルを知ってほしくて、2015年にダルバート専門のネパール料理店「ダルバート食堂」を大阪に開き、2018年にはネパール産スパイスの輸入と販売を始めた。2020年、東京に拠点を移し、「オールド ネパール」を食堂ではなくレストランとして、それもモダンネパール料理店として営む根底にあるのは、「ネパール料理を底上げしたい」との思いだ。
ネパール料理で世界水準のレストランを
初めてネパールでダルバートを食べた時に感じた計り知れないポテンシャルを、ネパールの人々は認識しない。あまりに当たり前すぎるのだろう、磨けば光ることに気付いていない。飲食店はあっても日常食の食堂ばかり。本田さんにはそれがどうにももったいない。
「ネパール料理でも世界水準のレストランにしたいんです」
フレンチ、イタリアン、中華などと肩を並べるポジションに据えたい。100ドルの価値を持つ料理として、世界に提示したい。「ネパール人でない私たちがそんなことを考えるなんて、おこがましいのですが」。
試行錯誤を重ねてたどりついたのが、民族や地域をテーマにしたストーリーのあるコース料理だ。約9品で構成する。「そもそもネパール料理をコースで提供する店をほとんど見たことがなくて。コースとして成立させるにはどうすればよいか、すべてが手探りでした」。オープンから4年の間にブラッシュアップを重ね、ようやく自分たちらしい形になってきたかな」と口を揃える。
例えば、2023年10~12月は「カトマンドゥ盆地の食巡り」、2024年5~7月は「標高差3800mの旅」。後者の場合、ネパール北西部のドルポ地方を数日かけてトレッキングで下りた後、インド国境付近のネパールガンジまで飛行機で移動した旅を表現している。植生や風景、ロッジでの食事、川の情景、土の香りといった実体験を皿に映し出す。ゲストからは「一編のロードムービーを観ているようなコース料理」「ネパールを旅した気分」といった感想が寄せられる。
「自己表現ではない」と遼さん。皿の上が伝統的な形式から離れようと、ネパールの大地に紐付く意識は変わりない。「あくまでも自分の体験を通したネパール料理であり、ネパールという国の表現です」。
国を背負う意識とネパール移転計画
「他国の料理を作ることは、その国の食文化を背負うこと」と遼さんは考えてきた。
「オールド ネパール」は『ミシュランガイド東京』の2024年版、2025年版でセレクテッドレストランとして掲載された。2人にとっては、自分たちの店が選ばれたこと以上に、ネパール料理がミシュランに載ったことの意味が大きい。「ネパールの人たちに、ネパールの食文化がミシュランに載るポテンシャルがあると伝えたい」
ミシュランに載ってから、海外で料理人として働くネパール人が「研修させてほしい」とアプローチしてくるようになった。
数年後には店をネパールへ移すつもりだ。
「向こうでレストランを営むのであれば、料理のスタンスは変わるでしょうね」
たぶん、遼さんの頭の中には様々な可能性がうごめいているのだろう。
日本ではネパールという国の食文化を伝えることに重点を置いてきたが、ネパールの風土が舞台となって、ネパールの食材を使えるのだから、そこではきっと彼個人のクリエイティビティが解き放たれるに違いない。しかも、それは20年近くに及ぶフィールドワークで培った知識と技術に裏打ちされた唯一無二のクリエイティビティなのだ、期待するなというほうが無理というものである。
◎OLD NEPAL
東京都世田谷区豪徳寺1-42-11
03-6413-6618
ランチ 12:00同時スタート 15:00閉店
ディナー 19:00同時スタート 22:00閉店
Instagram:@oldnepal_tokyo
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