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PEOPLE / 寄稿者連載

イスタンブール、Maksut Ascar

関根拓さん連載 「食を旅する」第11回

2018.03.29

連載:関根拓さん連載




超低空飛行から抜け出して。


アジアの終着点であるこの街は、ヨーロッパへの始発駅でもある。
アジア側カドゥキョイから連絡船に乗り込み、ボスポラス海峡を渡る。
沈みゆく夕日に照らされた対岸のモスクは、視界の中で徐々に大きくなっていく。
片道40円の小さな日常の航海を終えると、そこはもうヨーロッパ側のスルタンアフメットだ。
祈りの時間を呼びかけるアザーンは海上まで鳴り響き、かつて世界の中心であったこの港町には今日ものんびりとした時間が流れている。






昨年12月「Neolokal」にでのイベントのために、僕はこの地を訪れていた。
トルコを代表するシェフMaksut Ascarのレストランだ。
彼とは4年前にパリで知り合い、のちにロシアでのイベントでも一緒だった。
好奇心の塊のような彼とはすぐに仲良くなった。
しかし、その後、イスタンブールの外食産業は度重なるテロで超低空飛行を続けていた。
彼の店も瀬戸際をさまよっていた。
経済的な側面はもとより、優秀な料理人の心が完全に擦り減ってしまっていた。
Maksut Ascarシェフとともに。


昨年秋、Maksutから嬉しい知らせが届く。
「街も店もどうやら最悪の状況を脱して回復傾向にある。だからこれからたくさんのシェフを招待してイスタンブールを盛り上げたい」
久しぶりのポジティブな知らせに僕は安堵した。
彼はイスタンブールという街、そしてトルコという国をいつも気にかけていた。
料理が世界共通言語になった今も、僕ら料理人はそれぞれ自分の国の国旗を背負っている。
だから彼の気持ちは痛いほどによくわかる。
僕は喜んでイスタンブール行きの計画を立てた。

「海と陸」。





ホテルに到着すると僕らはすぐさま街に出た。
Maksutとトルコで会うのは初めてだ。
久しぶりの再会にもまったく違和感はない。
そんなことより早く自分にいろいろなものを見せたくて仕方ないといったふうだ。
迷路のように細かい路地を足早に通り抜ける彼の後ろを付いていく。
露店には艶のいいイワシやサバの姿が見える。
新鮮なスパイスの香りは潮風の湿気とともに鼻腔を刺激する。
彼の行きつけの店にたどり着くと、キョフテがテーブルへと運ばれてきた。
羊肉を使ったトルコ風ミニハンバーグだ。
羊の香りも鮮度も、この国に勝る場所を僕は知らない。
パリを早朝に出て機内でもこの羊のことを考えていたから、そのおいしさはなおさらだ。






僕はぼんやりと今回のディナーのテーマを考えていた。
海によって二分された街。そうだ、「海と陸」にしよう。
イスタンブールには新鮮な海の幸も、滋味に富んだ野菜も肉もある。
ただそれがいつも海は海、陸は陸としてだけ調理されている印象を持っていた。
自分の好きな「海と陸」の組み合わせをイスタンブールの人たちに楽しんでもらえればと思った。
Maksutもこのアイディアを気に入ってくれた。

翌日、僕らはトルコ随一の調理師学校MSAにいた。
Maksutがボランティアで続ける講義の一コマを今日は自分が代わりに担当することになっていた。
市内から学校へ向かうタクシーの中で彼が言う、
「残念ながらトルコは今、世界の中心ではない。ただそんな国にもやる気と才能に溢れた若者がたくさんいる。その子たちが世界に羽ばたこうとする少しの支えになれば」
僕はいささかの責任を感じると同時に、この国の食の未来を担う彼らと話すのがものすごく楽しみだった。
僕はここでも「海と陸」でいくことに決めた。
こんなにも開かれた世の中だから、あえて彼らの目の前にあるものに目を向けてほしかった。
僕はイスタンブールで採れるエビ、近郊から届くチーズとタマネギで一皿を作った。
一人の生徒が帰りがけに、「明日から料理を想像するのが楽しみだ」と言い残してくれた。

未来のための10皿。











短い滞在も終わりに近づき、いよいよイベントのディナー当日となった。
僕らは朝早くから調理場に入り、イスタンブールで一緒に料理できることを楽しんでいた。
僕は、鰯のラビオリには仔羊の骨からとったコンソメ、仔羊の背肉にはイカスミのラグーを合わせることにした。
ダイニングから見下ろすイスタンブールの夜景も手伝って、ディナーは最高の盛り上がりを見せていた。

階段を降りたところにはキッチンを見渡す小さなカウンター席があった。
そこで昨日の学生たちが、料理が作られる様を見ながら熱心にメモをとっている。
聞くと、Maksutはこの席を海外から来るシェフの仕事を学びたいという学生に開放していた。
このイベントは上階で食事をするお客さんだけのためではなかったのだ。
振り返ると上に運ばれるものと同じお皿を学生に差し出しているMaksutがいた。
僕は体の中に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
学生はまさか実際に口にできるとは思っていなかったようで、感激を通り越してびっくりしている。
僕はこの時やっと、彼が朝からしつこく、
「40名の予約はいっぱいだけど、念のため10名分余計に用意しておいてくれ」
と言っていた意味がわかった。
彼はその10皿にトルコの未来を託していた。




関根 拓(せきね・たく)
1980年神奈川県生まれ。大学在学中、イタリア短期留学をきっかけとして料理に目覚め、料理人を志す。大学卒業後、仏語と英語習得のためカナダに留学。帰国後、「プティバトー」を経て、「ベージュ アラン・デュカス 東京」に立ち上げから3年半勤務。渡仏後はパリ「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で腕を磨き、二ツ星「エレーヌ・ダローズ」ではスーシェフを務める。その後、パリのビストロ、アメリカをはじめとする各国での経験の後、2014年パリ12区に「デルス」をオープン。世界的料理イベント「Omnivore 2015」で最優秀賞、また、グルメガイド『Fooding』では2016年のベストレストランに選ばれた。2019年春、パリ19区にアジア食堂「Cheval d’Or」をオープン。
https://www.dersouparis.com/
https://chevaldorparis.com/



























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