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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

真鍋 太一さん(まなべ・たいち)

徳島県神山町「Food Hub Project」支配人

2019.12.01

「地方創生」が掲げられて以来、各地で立ち上がる様々なローカルプロジェクト。
なかでも注目度の高いのが、徳島県神山町「フードハブ・プロジェクト」だ。
人口5,500人、農業従事者の平均年齢71歳という町で、「地産地食」を合言葉に、農業と食文化を次世代へつないでいく。
その立役者にして推進役の真鍋太一さんは、東京からの移住組である。
なぜ神山で、どんな取り組みを進めているのか。

text by Sawako Kimijima photograph by Masahiro Goda




“Be Political.”

「オープンハーヴェストが転機でした」
オープンハーヴェストとは、2011年秋に行われた伝説のイベントである。米西海岸「シェ・パニース」の料理長ジェローム・ワーグ(当時)を中心とした食のスペシャリストたちを招き、優れた生産者のもとへ案内して、日本の生産現場への理解を促した上で、その食材を料理しながら消費者やアーティストとの交流を図るという横断的で参加型のイベントだった。
題して「知る、体験する、感じる、食べる、そして考える。みんなで食べるアートインスタレーション」。
「eatrip」の野村友里さんが中心となって企画。彼女とがっぷり四つに組んで運営に当たったのが、真鍋太一さんだ。

真鍋さん、当時はまだ食の世界の人間ではない。
「デザインに憧れがあって、デザインの力で社会を変えていきたいと思っていた」
アメリカの大学でデザインとビジネスを勉強したものの、「相当にセンスがない(笑)」と限界を悟り、「自分でデザインするより、デザイナーと仕事をする道を」と日本の広告業界へ。8年間働いた後、アメリカで転職するが、うまくいかず帰国。空間デザインを手掛ける会社に在籍している時に、オープン・ハーヴェストに関わった。

「ものすごく大変だったんです。シェフたちを連れて、旅して、イベントをして。この時、友里さんから学んだことは多い」
そして、食が持つ、人を動かす力の大きさに気付く。
「食ってずるいですよね。いろんなやり方、見せ方があって、ストレートに人の心を動かす。デザインより遥かに強い。全然違う文脈からやってきた食に不意打ちを食らい、でも、自分に合っていると感じました」

オープンハーヴェストに参加したメンバーが、そのスピリットを継続する活動体「ノマディックキッチン」を立ち上げた際、真鍋さんは支配人という立場で参加する。そうして、広告やマーケティングを本業としつつ、食との関わりを深めていった。
マイプロジェクトから始まった。
“Be Political.”――オープンハーヴェスト以来、親交の厚いジェローム・ワーグ(現「The Blind Donkey」シェフ)からよく言われた言葉だ。根底には「シェ・パニース」の創設者アリス・ウォータースの思想が流れているのだが、ジェロームは食を社会的な視点で捉え、社会を動かすツールとして向き合っていた。「お前にはその準備ができているか?」とジェローム。
真鍋さんが徳島県神山町への移住と同時に、神山町創生戦略のワーキンググループに参加したのも、“Be Political.”を実践しようとの思いがあったからだ。

そもそも、なぜ、神山だったのか? 真鍋さんは神山の出身ではない。
「サテライトオフィスの視察のために神山を訪れ、たまたま紹介された物件が気に入ったんです」
寄井座という築90年になる芝居小屋横の長屋。ゆったりとした土間があり、隣にはおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいた。地元のコミュニティとの距離感といい、空間が持つ包容力といい、「ここだったら、何かできそう」と思ったのだった。
元々、2年毎に転居するような生活を送っていたこともあって引っ越しへの抵抗がなく、子供が小学校と幼稚園に入るタイミングを迎えて頭のどこかで移住を考え始めていたこと、出身地の愛媛県の隣県という近しさ、等々、思い切る要因は揃っていた。

「広告の仕事をしていると、“売らなくてもいいものを売っているのではないか”という疑念にかられることがあります」
社会は本当にそれを必要としているのか? とはいえ、仕事は仕事として全うしなければならない。であれば、仕事とは別に、自分が信じることを自分が信じる方法で実現するマイプロジェクトを持てばいい。
「ノマディックキッチンの活動が、僕にとってのマイプロジェクトの始まりだった」

ノマディックキッチンは「1.小規模の作り手を支援する、2.土地の風土や文化とつながる、3.収穫し、料理し、みんなで食べる」を掲げて、より良い食のための地域を超えたコミュニティづくりを、自分の時間を使って自費でやっていた。ただ、イベント的に開催されるため、あくまで非日常。もっと日常的な、90歳のおばあちゃんから0歳の赤ちゃんまで関わるような食の取り組みを自分の手でやりたい。 「紹介された物件は、それができそうと思わせてくれたんですね」


町の中での循環を図る。
移住が14年3月。これまでの仕事を継続しながらの移住だったため、神山と東京を行き来する2拠点生活が始まった。
ワーキンググループでの議論の中から「フードハブ・プロジェクト」構想が立ち上がり、16年、推進と運営を担う会社を設立、真鍋さんは最高執行責任者に就く。

真鍋さんたちが描いたのは小さな絵だ。
地元で作って、地元で食べる、「地産地食」。地域内での物やお金の循環である。インバウンドとかアウトバウンドとか以前の話。「同じ物を買うにも、他所ではなく自分の町でお金を落とせば、知っている誰かが潤い、町が潤う。そんな小さな経済活動が町のこれからを作る」と真鍋さん。あまりにも当たり前の話に聞こえるだろうか?

プロジェクトの拠点として食堂を作った。そこで、神山産の米、麦、野菜を、料理やパンや加工品にして提供する。地元の学校と連携して食育にも携わる。たとえば、田植えから収穫まで1年間通しての米作り体験。収穫した米を生徒たちで料理して食べ、種は下級生へと引き継ぐ。また、高校の学園祭では高校生たちと一緒にお弁当を作って販売したり、小学生が考えた給食の献立を高校生が作ったり。
耕作放棄地になりそうな田んぼはフードハブが借り受けて米を栽培。できた米と地元の湧き水で日本酒まで造る。ちなみに真鍋さんが借りた物件の土間はテストキッチンとして大活躍。マイプロジェクトは町のプロジェクトに円満吸収されたわけである。

国内外のシェフが長期間滞在して、神山の魅力をすくいあげる「シェフ・イン・レジデンス」という取り組みがある。今年すでに、イタリア料理家の川本真理さん、NYからダニー・ニューバーグ、デイヴ・グールドらが訪れた。「彼らの眼を通して神山に潜む価値に光を当て、新しい展開を生み出す。“小さな食料政策”です」。

今、2度目の長期滞在中のデイヴがこう言ったそうだ、「世界が終わろうとしていても、フードハブのやっていることは変わらない」。そう、あまりにも当たり前、それくらい本質的で根源的なのだ。

真鍋太一さんによる書下ろし新連載「“小さな食料政策”、進行中」がスタート!
https://r-tsushin.com/people/innovator/manabe_taichi1.html


◎ 株式会社フードハブ・プロジェクト
徳島県名西郡神山町神領字北190−1
TEL 050-2024-2211(食堂 かま屋)
http://foodhub.co.jp/

真鍋太一(まなべ たいち)
1977年生まれ。愛媛県出身。アメリカの大学でデザインを学び、日本の広告業界で8年働く。その後、アメリカで就職するが、挫折して帰国。空間デザイン&イベント会社JTQを経て、WEB制作の株式会社モノサスに籍を置きつつ、グーグルやウェルカムのマーケティングに関わる。2014年、徳島県神山町に移住。モノサスのプロデュース部 部長とフードハブ・プロジェクトの支配人を兼務。

























































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