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PEOPLE / 寄稿者連載

岩手産小麦の「攻めた」品種改良。そのゆくえは?

「パンの道の駅」メイキングオブ 第5回

2025.10.30

連載:池田浩明さん連載

パンの研究所「パンラボ」を主宰する池田浩明さんが、地域で長く愛される「リアルブレッド」を探求。目指すは2028年にオープンする福岡県川崎町「パンの道の駅」のプロデュース!池田さんの開業までの思考過程を追います。

第5回は岩手県で開発されたもち小麦「もち姫」の普及を手掛かりに、日本各地で進む小麦の品種改良と地産化の行方を見つめます。


岩手発の“もちもち”小麦

小麦の世界も米と同様、新品種の登場によって地域が活気付き、生産者の所得やモチベーションアップに貢献、新たな食文化が芽生えることがある。

「もち小麦」という言葉を聞いたことがあるだろうか。もち米と同じようにもちもちした食感が生まれる品種のこと。100%で使えば、軟体動物のようなぐにゅぐにゅとした食感、10%のブレンドでも、パンや麺にもちもち感を与えられる。特にラーメンの世界で知名度が高く、テレビ番組『マツコの知らない世界』で取り上げられたときには、オンエア後、名前が出た製粉会社の電話が鳴り止まなかったという。

もち小麦がもちもちするのはデンプンに特徴があるから。小麦の組成のうち約70%を占めるデンプンは、アミロースとアミロペクチンという2種類の分子からなる。アミロースの比率は、野生の小麦では30%弱(通常アミロース)だが、アミロースが減りアミロペクチンの比率が高まる(低アミロース)ほど、もちもちする。
日本には低アミロースの品種が多く、もちもち感は国産小麦の特徴ともいえるのだが、もち小麦に至っては、アミロペクチン100%でアミロースはゼロだ。

世界初のもち小麦「はつもち」を誕生させたのが2000年。小麦は、生産者と製粉会社、その先のベーカリーやうどん、ラーメン店などの実需者がいてはじめて流通の歯車が回るのだが、もち小麦の場合、あまりに性質が特殊すぎた。名が知られるようになったのは、はつもち誕生からおよそ20年後のこと。

もち小麦を育種した岩手県盛岡市の農研機構東北農業研究センターの谷口義則さんは、「農林水産省が莫大な予算をつけて、全国の製粉会社から加工業者を巻き込んで、4年をかけて大規模な実証試験を行いました。ところが、うどんっていってもナメクジみたいなのができたりとか、パンやケーキは窯の中ではよく膨らむものの、出した途端にぽこっと凹んだり。報告書を見れば、悲惨な結果がいっぱい載ってます」

困難を乗り越えられたのは、“世界初”の希望が見えていたからだ。
「報告書ではまったく新しい食感、食品が開発できると期待されていました。ただ、初期の品種はあまりにも製粉歩留が低く、粉の色がくすんでいたため、製粉歩留や粉の色を改良した『もち姫』を育成したのです」。
品種改良はその後も続けられ、2009年、ついに品種登録された。

「はつもち」は、麺用小麦のオーストラリア産ASWに代わる品種として開発された。
岩手県盛岡市の農研機構東北農業研究センターの谷口義則さん(左)と池永幸子さん

岩手から青森へ。そして再評価 

そんな中、意外にもいち早くもち姫に目をつけたのは、岩手県の隣、青森県。
ソフトな食感で餅のように粘らないため、老人でも咀嚼しやすく喉につまらせることがない、餅の代用品として青森県立大学の藤田修三教授が注目。「もち小麦商品開発研究会」を立ち上げ、県内外の企業とともに商品開発を行った。このメンバーに岩手県の製パンメーカー・白石食品工業が加わったことで、もち小麦の命脈がつながる。生まれ故郷の岩手で、もち姫商品化のプロジェクトが走りはじめたのだ。

白石食品工業では、かねてより地元産小麦の商品化を模索していた。
「製パン適性は、圧倒的に北米産小麦だと思います。だから、あえて地元産小麦を使っても、それだけで消費者を動かすのは難しい。ただ、もち姫にはもちもちというわかりやすい特徴がある。東北ならではの小麦で、しかも海外産とまったく異なる食感となれば、消費費者に強く訴求できるんじゃないかと考えたんです」と、白石食品工業社長の白石雄一さん。

白石食品工業は、スーパーやコンビニ向けのいわゆる袋パンを売る卸業者である。シフォンケーキやロールケーキなど、製菓商材ではしっとり感をアピールできたものの、スーパー向けとしては単価が高くなってしまい、定着しなかった。ならばと、強力粉に30%程度ブレンドして食パンを焼成。だが、もちもちしすぎて、製造ラインにくっついたり、ケービング(曲がったり、沈んだりして形が変わること)したりと、トラブルが相次いだ。そのため、卸ではなく、自社のリテールベーカリー「PanoPano(パノパノ)」で、もち姫食パンを製造販売することになった。2015年のことだ。

「なにか看板商品を作りたいっていうのもありました。パノパノは、東北で震災があったあと、消費者と接点を持てる場を作った方がいいよねってことではじめたんです」
「卸業では、顧客はスーパーのバイヤーさんで、消費者の本当の評価が届きにくい。じゃあ実際に自分たちで店を作ろう、という考えでした」
白石食品工業代表取締役社長・白石雄一さん(右)、府金製粉代表取締役社長・府金慶さん

みんなで見つける「得意技探し」

2016年、使い手が少なく、すでに途絶えようとしていたもち姫の販路を確保すべく、白石さんは本社からほど近い、岩手県紫波町のJAいわて中央を訪問、「5トンは絶対買うからなんとか作ってほしい」と依頼する。

小麦の場合、小ロットでの製粉はむずかしい。そのため5トンを買い取ったわけだが、なかなか思い切った決断である。だが、腰を据えて安定的に売れる見込みがなければ、生産者は新しい品種に取り組むことができない。覚悟を持った大口の買い手が現れ、地元の製粉会社・府金製粉が製粉を担当することになり、地産地消の歯車は回転しはじめた。

その後、パノパノは、地元生産者が栽培した小麦からパンを作るという思いを消費者に伝え、メディア出演や百貨店催事にも出店。もち姫食パンは、人気1位の看板商品になった。2018年からはもち姫以外の残りの70%も、「銀河のちから」や「ゆきちから」の岩手県産に切り替え、食パンは完全な地産地消商品になった。

思わぬ使い手も現れた。世界遺産の町、岩手県平泉町・千葉恵製菓の「黄金かわらけかりんとう」はもち姫100%で作られる。普通ではありえないほどの、サクサク感。これは、低温かつ急速にデンプンが粉化(α化。水と結びついたデンプンが糊状のとろとろ状態になる現象)しやすいもち小麦の性質を活かしたもの。揚げ油はオーブンより高温になるため、水蒸気によって急激に膨らむと同時に、表面から水分が奪われ外側が固まるので、オーブンでパンを焼いたときのように凹むこともない。薄い膜が弾けることでぱりぱりとした食感が味わえるというわけだ。

こうしたことは机上で考えていても思いつかない。できるだけ多くの実需者に会い、それぞれの創意工夫で想定外の使い道が生まれる。私は、地産小麦が波及するかどうかは「得意技探し」にかかっていると常々主張している。かりんとうのような使い道が見つかったのは、府金製粉の地道な営業努力が実ったものだ。

もち姫の普及と地産地消へ舵を切った理由について白石さんはこう語る。
「岩手の県南では、古くから「もち」が生活・信仰・もてなしの中心に位置づけられてきました。もち姫に出会った私の世代でもちもちした小麦の食文化が生まれ、後々の世代が変わっていったらおもしろいと思いました」

(左から)紫波町の小麦生産者・高橋榮悦さん(農事組合法人牡丹野)、藤尾秀篤さん、岩手中央農業協同組合・村上博範さん
一関・平泉のもち食文化は2013年にユネスコ無形文化遺産「和食―日本人の伝統的な食文化」の構成要素としても登録されている。

パンと農業はつながっている。食料自給率が100%を超える岩手県においては、特に。

「地元で小麦を買うと、裏切れないという想いが強くなります。量が穫れる年、穫れない年があるのがわかると、生産者の方の苦労も感じる。うちには週末に米や小麦を作っている社員も多くいます。会社の中にも農業を応援する雰囲気はあると思うんですよね」


もち姫が岩手の文化をつくる

9年前、白石さんが訪ねた紫波町(しわちょう)は、もち姫の県内での生産を一手に引き受け、5つの経営体で計70ヘクタール、生産量は100トンまで拡大した。日本最大のもち姫産地の生産者、藤尾秀篤(ふじお・ひであつ)さんは、白石さんが訪ねた当時のことを振り返る。

「当時作付けしていたナンブコムギは、病気に弱く、反収(1000㎡あたりの収穫量)も低かった。白石食品工業さんが来られたとき、ちょうど品種の切り替えを検討してたんです。もち姫に変えてからは、今では300キロ、多いときは400キロ台と約3倍の反収を上げています」
同じ品種を長年栽培しつづけると、病原菌が蓄積して病気になりやすく、収穫量が減る。新品種は病気やその他のリスクに強くなるように育種されており、収穫量も増える。

ナンブコムギの時代は、作れば作るほど赤字になっていたという。農協の買取価格がキロあたり約50円、乾燥や調製の委託料も約50円。国からの交付金でかろうじて経営を成り立たせていたが、手間をかけてもさして収量は上がらなかった。

また、ナンブコムギは全県のナンブコムギとブレンドされていたが、岩手県産もち姫小麦といえば、紫波町産のみ。「もち姫と書かれていれば、自分が作った小麦なんだなってわかります。もっとがんばろうと思えます」。もち姫への切り替えは、小麦生産者の収入を増やすだけでなく、自信と誇りを取り戻した。

藤尾さんたちは他の生産者とともに「志和もち姫生産集団」を結成。講習会への参加や、情報共有を通じて技術を高め合うほか、消費者との交流イベント「もち姫収穫祭」を開催。今季で8期目になる。
もち姫収穫祭は「種まき」「麦踏み」「追肥作業」「観察会」「刈り取り」と年間5回開催。うどん店やベーカリーの協力でうどんやパン作り体験も行う。食育はもちろん、実需者との交流の場にもなっている。

一方で課題も残る。もち姫を栽培すると、他の品種に比べ交付金が安くなる。交付金の額は、国の定める「麦の品質評価基準」によって決まるが、そこでは「フォーリングナンバー」というデンプンの粘度を測る基準があり、基準値を上回ってないと、品質が悪いとされ、交付金の額が低くなる。だが、これはアミロペクチンが多いもち姫の特性によるもので、実際の粘度とも品質とも無関係である。

他にも、品質評価基準には「たんぱく」という基準もあり、たんぱく値が高くても、評価は落ちる。実際には、パンを作る場合、高いたんぱく値は歓迎されることが多い。実需者や消費者のニーズが多様化し、品種や栽培の狙いもさまざまになっている現在、画一的な評価基準は、生産者の足を引っ張る場面が増えているといえよう。

小麦を取り巻くさまざまなプレーヤーが一致団結する仕組みは、地元産小麦を根付かせる上で重要だ。みんなで育てたもち姫をこれからも作りつづけたいと藤尾さんたちは言う。「岩手の文化というと言いすぎかもしれませんが、そういうものを残していきたい」

図らずも、もち姫の生産者からも、使い手からも、「文化」という言葉が出た。小麦とは、さまざまな立場の手を経て消費者の元に届くチームプレー、だからこそみんなで時間をかけて育てる必要がある。


池田浩明(いけだ・ひろあき)
パンの研究所「パンラボ」主宰、新麦コレクション理事長。ブレッドギーク(パンおたく)。パンを巡る小麦の生産者、パン職人、消費者を、縦横無尽につなげる機動力と企画力の持ち主。


◎福岡県川崎町「パンの道の駅」準備室
Instagram:@kawasaki_michinoeki

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