薪火のパイオニア「ヴァッカロッサ」の“健康な赤身肉のための火入れ技”
SDGs時代の「薪火」活用術 02
2021.12.16
text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo
薪火調理において別格のポジションとも言える高い評価を誇るのが、東京・赤坂のイタリア料理店「ヴァッカロッサ」だ。「健康な赤身の牛肉を焼くための薪火」と目的を明確に見定めて磨き上げた渡邊雅之シェフの技法は独創的。それはイタリアのサステナブルな食文化に端を発し、その考え方を伝えるためのものでもある。
目次
- ■【なぜ、薪火?】ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナに触発されて
- ■【食材選び】筋線維が細かくて高密度な赤身肉
- ■【設備】輻射熱が発生しにくい構造の暖炉
- ■【技法その1・熱の質】オーダーメイドのふかふかの熾火
- ■【技法その2・焼き方】「やってはいけない」のオンパレード
- ■【ヴィジョン】土地と共生する、健全であろうとする調理法
【なぜ、薪火?】ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナに触発されて
「ヴァッカロッサ」渡邊雅之シェフの薪火調理は、トスカーナのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナに始まる。
20歳の時にイタリアで出会ったその味に衝撃を受けて以来、探求を続けてきた。日本におけるビステッカの名店、渋谷「トゥリオ」での7年にわたる修業の間には、食肉市場・芝浦と場で働いたこともある。1995年、27歳でイタリアへ渡り、薪火焼きのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナで知られるトスカーナ「ラ・キウーザ」で3年弱、経験を積んだ。
「トスカーナでビステッカの調理法は、薪火、炭火、ガスや電気といった様々な熱源の中でも、薪火のヒエラルキーが最も高い。パンなども薪窯で焼いたものは高価です」と渡邊シェフは言う。「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナに関する様々な文献や資料にもあたりましたが、『薪火が最高』といった記述がある」
しかし、「なぜ、薪火がよいのか?」の説明を文献に見つけることはできなかった。そこで、日々の仕事の傍らで検証を重ねていく。薪火と炭火、両方で焼き比べてみる。熾火の状態を変えてみる。火の当て方を変えてみる。肉の状態の変化をつぶさに観察し、肉への火の入り方の違いを把握した。
「他の熱源以上に設備も労力も技術も必要とする薪火を、現代のレストランでわざわざ導入する意味があるのか? その確証が欲しかったのです」
出した結論は、「私が求める肉の焼き上がりは、薪火でなければ表現できない」
帰国後、渡邊シェフは、理想の焼き上がりを実現するための「食材」「設備」「技法」を確立していった。
【食材選び】筋線維が細かくて高密度な赤身肉
渡邊シェフが焼くのは、健康な赤身の肉。それが大前提だ。
「箸文化圏の日本では、やわらかいことに重きが置かれ、サシの入った肉が喜ばれますが、私はイタリアで“噛んでおいしい赤身肉”に魅了された」と渡邊シェフ。それは、「もし、食肉ヒエラルキーがあったなら、欧州ではジビエが頂点に位置する。歴史ある欧州の食肉文化に紐づく、自然な肉のおいしさを大切にする価値観です」。
「噛む食べ心地の良さ」「噛んでも噛んでも、味と肉汁が出続ける」、そんな肉質と焼き上がりを渡邊シェフは目指す。高知県の土佐あかうし、北海道十勝清水の十勝若牛やブラウンスイス、岩手の中屋敷牧場が育てるジャージーと黒毛の交雑種、山口の無角和種、アイルランドのヘアフォードプライム、イタリアのキアニーナ牛など、筋線維が細かくて高密度な赤身肉を選ぶ。
【設備】輻射熱が発生しにくい構造の暖炉
「噛む食べ心地の良さ」には、細胞が肉汁を抱え込んだまま焼き上がらなければならない。そのためには筋線維の収縮を起こさない、つまり焼き縮みが起きないよう、乾かさないよう薄い焼き色をつけながら、弛緩したまま焼き上げる。
肉の繊維が縮まないよう、シェフが意識したのは、下からのみ加熱すること。オーブンのように肉全体に360度から熱が入る構造は、360度から肉に圧力をかけているに等しい。肉の表面が乾き、水分も奪われる。それを避けるため、渡邊シェフはレンガの輻射熱が発生しにくい構造を模索した。
蓄熱性の高いレンガは炉床にのみ用い、側面には蓄熱性の低いレンガを配する。イタリア産を含め、5種類のレンガや粘土を用いている。さらに給気と排気を万全にして、熱を炉内に溜めない。また、火床を焼き台よりも30cm掘り下げて、薪の炎が焼き台に影響を及ぼさない構造にした。焼き網は炉床から高さ10cm、つまり、輻射熱を排除する分、熾火と食材との距離はかなり狭い。シェフいわく「強火の近火」を実現するようにサイズを突き詰めたという。
この設備をシェフは「トスカーナ暖炉」と呼ぶ。
「通常、暖炉と言えば床に設えられています。が、トスカーナでは、私が働いていたラ・キウーザもうそうですが、グリル用の腰から上の調理用暖炉があって、そこで肉を焼いていました。そのスタイルを元に、増田煉瓦の増田晋一社長と共に試行錯誤を繰り返してたどり着いたスタイルです」
【技法その1・熱の質】オーダーメイドのふかふかの熾火
薪火の特徴のひとつに「熱の質」を料理人が作り出せる点がある。樹種の選び方、燃やし方、燃焼過程のどの段階で使うかによって、熱の質は異なる。自らが欲しい性質の熱を出現させることこそ、薪火調理の醍醐味だ。
渡邊シェフが求める「肉の表面の乾き、熱圧をかけずに、弛緩した状態のまま焼き上げる火」を、シェフは、その独自性と肉質に合わせて作り分けるところから「オーダーメイドのふかふかの熾火」と表現する。
「ウバメガシを硬く焼き締めた備長炭は、目の詰まった、密度の高いハイカロリーな熱源です。凝縮した熱が照射される。脂の多いもの、小さなもの、薄いもの、水分を飛ばすためのものには非常に相性がよいですね。対して厚みのある密度が高いものを焼くには、備長炭とは真逆な炭を自分で作ればいいと考えた」と渡邊シェフ。
それが「ふかふかの熾火」というわけだ。密度の粗い、やわらかな熱が拡散して当たることで、肉が弛緩したまま熱せられていくという。
熾火を作るにあたって、薪は立てて燃やす。井桁に組んで燃やせば、薪に圧力が掛かる。立てて燃やすと元の木の密度のまま、やわらかな熾火になるという。
【技法その2・焼き方】「やってはいけない」のオンパレード
肉汁が絶えず動いている状態を作る意味でも、肉は塊で焼く。
温まった焼き網に牛脂を塗り、冷蔵庫から出したて、カットしたての冷たい肉の表面にオリーブオイルを塗ってのせる。理想の焼き上がりになる前に火が通り過ぎてしまうため、常温には戻さない。また、焼成中の脱水や乾きを防ぐため、塩はふらない。
薄い焼き目が付いたら裏返す。表面を焼き固めるのではなく、薄い焼き色を重ねていくイメージで、焼き目の位置をずらしながら、こまめに何度も表裏を返し続ける。まんべんなく焼き色が付いたら、両面に塩をふり、側面を30秒ほど焼いて仕上げる。休ませず、すぐにカットして提供。表面に付いた焼き色の厚みは薄く、中はミディアムレアの状態である。
「やってはいけないと言われてきたことのオンパレード(笑)」
【ヴィジョン】土地と共生する、健全であろうとする調理法
渡邊シェフが働いていたトスカーナの「ラ・キウーザ」では、店が所有する山から薪を切り出していたという。
「毎回、切る場所をオーナーが指示していました。『何百年も前から続いている景色が変わることなく次の世代に受け継がれるように』とオーナーは言っていました。山の管理のための薪火調理でもある。土地と共生する調理法であることに僕は感銘を受けた」
今、渡邊シェフが用いる薪の樹種は、ミズナラ、ホンナラ、アベマキなど。「薪の質は、採取する土地や山によっても異なります。牛の個体差に合わせて肉への火入れを調整するように、薪の個体差に合わせて扱いを調整している」。
以前、群馬県北軽井沢で地域資源活用事業を展開する「きたもっく」を訪れ、山の管理の見事さと薪のクオリティの高さに感銘を受けた。が、「100km圏内でなければ卸さない」と聞いて納得、その薪を使うことは諦めた。イタリアで体感した「土地と共生する調理法」という側面を思い起こすからだ。無理のない距離から届く森づくりのための間伐材を使う。
渡邊シェフは、東京・赤坂という都市のど真ん中で薪火調理を行なう意味を常に考える。
「赤身肉は、食べ手にとって健康的であると同時に、牛の生態に適う育て方であり、しかも放牧など自然環境を活かした飼育がなされているケースが多い。薪火調理とは、人、牛、環境、すべてが健全であろうとする調理法なのではないか。まだまだサシが珍重される日本で、赤身肉のおいしさを広めるためにも、取り組む意味があると思っています」
渡邊雅之(わたなべ・まさゆき)
1969年生まれ。渋谷「トゥリオ」で7年間修業。その間、イタリア旅行中に出会ったビステッカに魅了され、レストラン勤めの傍ら、芝浦の食肉市場で2カ月間、無給で働く。1995年、27歳でイタリアへ渡り、トスカーナ州「ラ・キウーザ」で3年間働いて帰国。2002年青山一丁目に「ベッカッチャ」をオープン。2010年12月六本木に移転した際に薪火を導入、2013年から現店。カブスカウト、ボーイスカウト、シニアスカウトの活動を通してプライベートでも薪火調理のキャリアは長い。
◎ヴァッカロッサ
東京都港区赤坂6-4-11 ドミエメロード1F
☎03-6435-5670
http://vaccarossa.com/
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