世界のガストロノミー25年の歴史をぎゅっと凝縮。シェフたちの学会
ガストロノミーとは何かを知りたいあなたへ
2024.01.22
text by Yuki Kobayashi / photographs by Yuki Kobayashi、San Sebastian Gastronomika(SSG)
【サンセバスチャン・ガストロノミカ2023リポート】
ミシュランガイドに、フランスでは「Creative」、日本では「イノベーティブ」というカテゴリーが加わった背景には、料理学会の存在があると言って間違いないだろう。注目のシェフたちによる最新の思考・発想・技術は、料理学会によって世界中に共有されてきた。自然との共生や多様性、人間らしい働き方といった課題に取り組む先進的な事例を先駆けて紹介し、料理界が目指すべき方向性を指し示す。そんな料理学会のパイオニア「サンセバスチャン・ガストロノミカ」が2023年10月の開催で25周年を迎えた。その模様を現地ジャーナリストがリポートする。
目次
- ■シェフの地位向上に貢献した料理学会
- ■「海のシェフ」の最新クリエイションは大豆の代替食材
- ■最先端ガストロノミー×伝統様式
- ■残酷かつ美しいヴィジュアルで社会を挑発
- ■フェラン・アドリアが進める3つのプロジェクト
- ■200ドルとホームレスの隙間を埋める
- ■官民一体となって料理界を支える
シェフの地位向上に貢献した料理学会
「サンセバスチャン・ガストロノミカ(以下、SSG)」のような発表の場がシェフに与えられていなかったら、世界の料理界は、ハイエンドなレストランは、新進気鋭のシェフたちは、ガストロノミーに賭ける投資家たちは、どうなっていただろう?
この25年で料理人の地位は目覚ましく向上した。ことスペインにおいては、シェフが飲食史上のみならず芸術史上にも名を残した四半世紀と言える。シェフの社会的役割と責任は高まり、食のバリューチェーンに与える影響は計り知れない。収入さえもサッカー選手に例えられるほどのシェフがスペイン国内では登場している。
25周年を迎えた今年のSSGはそんなエポックメイキングな足跡を辿る発表が多かった。現代ガストロノミーのレジェンド、フェラン・アドリアや災害時の食事支援で世界的ヒーローとなったホセ・アンドレスなどグランシェフたちが登壇して熱く語ったが、ここではまずSSGらしく革新的なクリエイションから紹介していこう。
「海のシェフ」の最新クリエイションは大豆の代替食材
スペイン南西部アンダルシアのレストラン「APONIENTEアポニエンテ」のアンヘル・レオンが「Chef del Mar海のシェフ」と呼ばれ始めたのは2010年頃から。夜釣りでプランクトンが光るのに魅せられた彼は海の光を食卓に持ち込むべく、カニの発光酵素由来の“液体中で光る粉”を発明した。さらに、少量加えるだけで強烈な海の味と香りを与えるプランクトン・マリノ(海洋性植物プランクトンの粉末)を生み出す。彼の研究テーマはいつも斬新だ。今年の発表は海水で育つマメ科植物、ベネズエラで発見したというカナバリア ロセア(canavalia rosea ナガミハマナタマメ 長実浜鉈豆)についてだった。
世界的に大豆の需要が増加して、南米では10年以上前から大豆栽培地の拡張による森林破壊が問題になっている。カナバリア ロセアの豆の栄養素は約50%がタンパク質で、大豆(約30%がタンパク質)よりも多く、豆腐はもちろん、湯葉も作れる。アンヘル・レオンは、カナバリア ロセアが大豆の代替食材となり、しかも生育に淡水を必要としないメリット(地下水の枯渇を引き起こさない)など、この植物の可能性を熱く語った。2023年にベネズエラで栽培に挑み、約2tの収穫をあげたという。味噌や醤油の醸造にも挑戦している。
最先端ガストロノミー×伝統様式
サンセバスチャンから内陸に入った町トロサにあるレストラン「AMAアマ」の2人のシェフ、ハビエル・リベロとゴルカ・リコはBCC(バスク・キュリナリー・センター)の卒業生だ。最先端のガストロノミーを勉強しながらも、2人が魅せられたのはバスクの田舎に伝わる昔ながらの生活様式「カセリオ」の文化だった。
カセリオとは、伝統的な造りの家と農地で家畜を飼いながら自給自足的な暮らしを営むスタイル。カセリオこそバスクの生活文化の真髄と考える2人は、店をトロサの街中に構えつつ、毎週いくつものカセリオを訪ね、カセリオを守る人々からその生産物を購入する。カセリオでは農耕のためのロバや馬の肉を食する習慣があるが、そうした素材も臆することなく使う。
2人が最初に開いた店はわずか12㎡という極小バルだった。2023年のマドリード・フュージョンで「若手最優秀シェフ賞」を受賞したのをきっかけに店を広げ、BCC卒業生初のミシュランの星獲得になるか、と業界が期待を寄せる。
ちなみに平日の夜は営業しない。健全な働き方もサステナビリティ実現の不可欠な要素であると認識するがゆえだ。
シチリアに「W VILLADORATA ドゥッピオヴ・ヴィラドラータ」を構えるヴィヴィアナ・バレセも、このところスペインの料理学会への参加が多い。
店はエトナ山から125kmに位置するノトの街にある。保水性と通気性に優れた火山灰土壌で育つ野菜の魅力に気付いたのは、大都市ミラノで成功した彼女にとって自然な流れだった。店に隣接する畑で約20種の穀物を栽培し、黒豚やこの地域にしかいないと言われるミツバチを飼う。最近は22haの広大な土地に育つアーモンド、柑橘類、オリーブの木々にご執心だ。海まで10kmと近く、今回は白身魚とハーブを豊富に使ったサラダを試食に提供して会場を一気に地中海へと誘った。
残酷かつ美しいヴィジュアルで社会を挑発
2023年の「世界ベストレストラン50」で5位にランクインしたコペンハーゲン「Alchemist アルケミスト」のシェフ、ラスムス・ムンク。料理学会では毎年聴衆を唖然とさせ続けている。今年はアフリカの飢餓の子供の肋骨をイメージした残酷で美しくもある料理で話題をさらった。挑発こそ彼のアピール法。物議を醸して興味を引き付ける。その矛先が向かうのは公害、児童労働、臓器移植、食料問題といった社会課題である。人間は何を食べるべきなのか?という警鐘を鳴らし続ける。
素材や技術、旬から料理を考えるシェフが多い中、彼の場合は常にヴィジョンが先立つ。食材はその表現のためのツールであり、料理デザインには3Dプリンターを使用する。
こうしたレストランを訪れるゲストにとって「お金は決して問題ではない」とラスムス・ムンクは言い切る。店では調理スタッフやホールスタッフのみならず、科学者、演出家、映像や音響の技術者、ダンサー、ミュージシャンなど108人の従業員を抱える。小児病棟の病院食を作るプロジェクトなど、レストランを超えた活動にも取り組む。
フェラン・アドリアが進める3つのプロジェクト
革新を続ける現代ガストロノミーをフェラン・アドリアなしに語ることはできない。「エル・ブジ」を知らない世代が多くなってきたものの、彼は厨房に立たずしてなお業界に君臨する。今回はインタビュー形式で、フェランへのオマージュの時間が設けられた。その中でフェランは、エル・ブジの功績のひとつとして人材の輩出を挙げた。「ノマ」のレネ・レゼピ、「ムガリッツ」のアンドーニ・ルイス・アドゥリス、後述のホセ・アンドレスといった現在のビッグネームがかつてブジの門をくぐった。彼らは今、自らの土地で自らの創造の道を歩む。今回、フェランが繰り返し強調したのは「若い世代と女性の才能がもっと必要」ということだった。
現在のフェランの活動として、3つのプロジェクトを挙げておこう。
1.”Bullipedia”(ブジペディア)
世界の料理素材をはじめガストロノミーに関する知識を網羅的に分類・蓄積したオンライン・データベースの制作
2.“Alicia Foundation”(アリシア財団)
2004年設立。ガストロノミーを日常レベルに応用、たとえば病院食、学校給食、高齢者や乳幼児の健康と食などをメインテーマとして研究開発・啓蒙活動を行なう。
3.“El Bulli 1846”(エル・ブジ1846)
2023年6月一般公開が始まったガストロノミーのアーカイブミュージアム。フェランは2010年からスペインの通信大手テレフォニカと連携してきた。テレフォニカの最新情報処理とAI技術による近未来的な映像や画像がミュージアムの各所で繰り広げられる。食のビッグデータに関してフェランが思案を巡らせているだろうことは想像に難くない。食べられないミュージアムに人々の関心が薄いのは百も承知。目指すのは尽きることのない創造であり、ミュージアムが示すのは過去の栄光ではなく未来の食だ。
200ドルとホームレスの隙間を埋める
「エル・ブジ」出身者の中でもアメリカで独自の進路を切り拓いたのがホセ・アンドレスである。自然災害の被災地や戦争地域で逸早く食事支援を行なう「World Central Kitchen ワールド・セントラル・キッチン(文末に記事リンクあり)」を2010年に立ち上げ、以来、その機動力とスケールは地球全域に及ぶ。ウクライナ戦争やイスラエルのガサ侵攻でも活動を繰り広げている。
「NYでは200ドルの食事がサーブされるレストランの100m先にホームレスがいる。その隙間を埋めるのが食の仕事ではないのか」、そう考えたのがワールド・セントラル・キッチンのきっかけだったという。「食のバリューチェーンに携わる人間がまず自分の周りに食を提供する経済環境・労働環境を整えなければ、飲食店は持続不可能。10人のためのディナーも1万人のための食事も傾けるパッションは同じ」と語る。
発表の最後はスタンディングオベーションが長く続いた。
官民一体となって料理界を支える
日本のサンセバスチャンになりたくて、この地を視察に訪れる日本の自治体関係者は多い。サンセバスチャンがそんな憧れの食都となった要因のひとつにSSGがあることは疑いようのない事実と言えよう。
SSGは、バスク州政府をメインに官民双方の資金によって運営されてきた。行政機関や国内外の食品製造業ブランドが後援に名を連ね、新聞や雑誌メディアの集合体であるVOCENTOグループが後ろ盾に付いている。一般聴講者の入場料は3日間で250€(オンライン視聴のみは50€)。スペイン経済の波も平坦ではなかった25年の間には、聴講者が集まらない時期もあったが、官民一体となって維持し続けた。
別の面から支える人々を紹介しよう。スペインでは料理学会の発達と並行して、食専門の代理店やエージェントが活躍してきた。彼ら(多くは女性)はシェフと契約を交わし、レストランの広報を担当する。的確・適切なアナウンスやリリースがメディアを動かし、賞狙いにも有利に働く。忙しいシェフに代わって世界のトレンドも追ってくれる。エージェントの側は次のスターシェフを探すことにも余念がない。小規模レストランでも優秀なエージェントと契約を交わせば、プレス業務のみならず経営戦略のコンサルタントも可能だ。以前、レネ・レゼピがレストランにおける分業の重要性、適材適所の人材が必要だと話していたが、世界的な認知を獲得しているレストランは対外戦略に長けた人材を見極めている。スポーツや芸能の世界に似たシステムが飲食業界でもできつつあるというのが実感だ。
今年のSSGには、48カ国から1468人が登壇・出展し、413人のジャーナリストが訪れ、ホールでは10000以上の試食が提供され、展示場では160以上の企業がブースを構えた。料理界の発展が人類の進展や救済に貢献すると信じ、垣根を越えて取り組んできたSSG四半世紀の歴史に、日本の料理界は学ぶところが多いのではないだろうか。
【登壇したシェフの店】
◎APONIENTE(スペイン)
https://www.aponiente.com/
◎AMA(スペイン)
https://www.amataberna.net/
◎W Villadorata(イタリア)
https://www.vivavivianavarese.it/viva-villadorata
◎Alchemist(デンマーク)
https://alchemist.dk/
◎EL BULLI 1846(スペイン)
https://elbullifoundation.com/elbulli1846/en/
◎José Andrés(アメリカ)
https://www.jaleo.com/
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