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Journal / ilGolosario





パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.45 カンパーニア州の水牛のモッツァレッラ生産者

Journal / ilGolosarioApr. 30, 2020

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki

困難は創造力で乗り越える




ロックダウン、隔離生活、マスク、感染者数、そして世界レベルの景気後退。新型コロナウィルスの感染拡大により困難な状況におかれた今の僕たちにとって、日々、耳にするこれらの言葉には、勇気を与えてくれるものが一つもない。少しばかりの人たちが恐るおそる好転を口にし始めても、それは希望的観測にも思え、ほとんど祈りのように聞こえる。

『Webゴロザリオ』では、困難な状況にある仲間に少しでも役立ててもらおうと、デリバリー・サービスを始めた全国のレストラン400軒の情報を掲載した。そしてまずまずの成果も得ている。

僕自身は、こんな状況下であってすらも意外に楽観的でいられる。このイタリアという国で、旨いもの、素晴らしいものを求めて遍歴を重ねてきたこれまでの年月で、数多くの素晴らしい生産者に出会い、彼らのエネルギーと能力を十分に理解しているからだ。
実際、農業関係者はこの困難に足踏みなどしていない。栽培農家も酪農家たちも、自分たちの創造力を余すところなく駆使して加工品を生み出し、付加価値を高める努力の真っ最中だ。

                               

今回はそんな生産者たちの中でも特にイタリアのエンブレム的な一人の男を紹介したい。
そんな人物がいるのはもちろん南イタリア。アントニオ・パルミエリ(Antonio Palmieri)は、非の打ちどころの無い優雅さをさり気なく感じさせ、それでいて気さくで礼儀正しく、どこぞの王子も羨むような品格が備わっている。が、驚くなかれ、彼は水牛のモッツァレッラの生産者なのだ。

農業に美意識をもって取り組むイタリアらしさ




ここはカンパーニア州サレルノ県、カパッチョ・スカ―ロ(Capaccio Scalo)。南イタリアとシチリア島の一部に古代ギリシャ人が移住し統治したマグナ・グラエキアの時代の遺跡として知られる「パエストゥム」(ユネスコの世界遺産)は、ここから3キロばかりのところにある。古代ギリシャ人が、紀元前7世紀に建造したもので、海神ポセイドンに因みポセイドニア(後にパエストゥムまたはペストゥムと変化した)と名付けた。

この古代ギリシャ時代の遺跡は、緑豊かな平野の真ん中にあって城壁の名残が周囲を巡っている。ドーリア様式の三つの巨大な大理石の神殿があって、季節によって変化する陽の光がそれらを照らす様は圧巻だ。ここで生まれ育ったアントニオにこの環境は強い影響を与え、彼は様々な事柄に一定の美意識をもって取り組むようになった。

この地域はセーレ(Sele)川が走り、以前は沼地だったが、開拓事業によりこの100年ほどでカンパーニア州でも随一の農業経済発展地域になった。この地域では、水牛は遥か昔から放し飼いで飼育されていて、ゲーテがパエストゥムの遺跡を訪れた際、その水牛たちの姿を見てギョッとしたらしく、こう語っている。
『水牛のその姿、カバにも似て、荒々しきその眼は血走りたる。』

アントニオの一家が農業を始めたのは彼の祖父アントニオ(イタリアでは祖父母の名を孫が継ぐことが多い)の代で、1908年、カパッチョ・スカ―ロのヴァンヌーロ(Vannulo)地区に1700年代からある土地と建物を購入した。我らがアントニオの父で二代目のニコーラ(Nicola)が水牛の乳の販売を始めたが、一家の農業経営が飛躍的な発展を遂げたのは、1988年に「ヴァンヌーロ・チーズ工房(Caseificio Vannulo)」を設立し、乳製品加工を始めた三代目アントニオの時代になってからだ。現在ではイタリアで最も高い評価を得るチーズ生産者の一つとなっている。

アントニオは地元の農業高校に進んだが、その頃から既に水牛の群れの間であれこれ試して楽しんでいた。74歳を迎えた現在、彼の三人の子供たちも経営に加わっている。飼育頭数600頭、うち乳用牛300頭、有機農業を導入して24年、だが彼の場合、これらの数字だけに留まらない。

ヴァンヌーロ社の牛舎は、いわば水牛のためのエステサロンだ。高床式の大型バルコニーさながらに設計され、モーツァルトの音楽が流れ、特製ローラーが回転する下でマッサージを楽しむ水牛の姿を見ることができる。

搾乳も、ロボット化された搾乳ブースに水牛が自発的にやって来て行われる。他の水牛が先に搾乳をしていれば文句も言わずに辛抱強く順番待ちをする。
水牛は一頭一頭、乳房をスクリーニングされ、搾乳スペースに入ると首輪に組み込まれたデータを搾乳装置が読み込んで個体を判別し、ミルクカップがそれぞれの乳首の位置に適応して無人で自動装着される。これは家畜の健康を守り、ストレスを与えないことで良質の乳を得ようという考えに基づいたものだ。

牛舎は清潔に保たれ、一頭当たり20㎡のスペースが確保されているほか、乾乳期の3カ月間は水牛を牧草地に開放する。家畜飼料も全て無農薬栽培で、特にトウモロコシ、大麦やオーツ麦は120ヘクタールの社内農園で栽培したものを用いている。
家畜の健康管理に用いる薬剤も当然ながら生薬。モッツァレッラ・チーズの加工も可能な限り伝統製法を取り入れ、社内生産による乳だけを用いて手作業で行っている。

1日400キロのチーズがその日のうちに売り切れる直売所




チーズの生産量は一日400キロ。信じてもらえないかもしれないが、その他の製品も含めた全てをその日のうちに社内の直販所で完売してしまい、イタリア国内へも海外へも発送には一切応じていない。

彼のビジョンは、生産性を高めるために工業化を図る考え方とは逆で、常に「より良い製品づくり」と、より良い条件下で製品を味わってもらうための「地産地消」を基本とする。そして何よりも仕事に情熱を注ぐ50人の職員と家畜の健康管理に神経を注ぐ。
サステナビリティ、季節感、地域性を大切にし、世の市場価格には左右されない。なぜなら、その土地の地域性は唯一のもので、そのためにそこで作り出される味は他では再現不可能なものだからだ。

「ある時、ラップランドから取材班がここを訪れました。飼育施設を見学した後に、ラップランドのトナカイの飼育場ではトナカイの完全利用を行っていると言うんです。ラップランド人がトナカイで出来ることを、私たちが水牛で出来ないはずがないと思いました」

こうして2000年に、チーズ工房の隣にヨーグルト生産施設を増築。イタリア初の水牛のヨーグルト生産者になった。
「脂肪分とタンパク質は、羊のものに似ているんです。ですからギリシャ風のヨーグルトに近いものになりました。もちろんジェラートも作っていますよ」

2010年にはチョコレートの生産も始めた。水牛の乳をカカオ豆と組み合わせ、非常に質の高いチョコレートが生産されている。
そして同じく2010年、水牛の皮を利用した皮革製品や小物を生産しようと、フィレンツェのサンタ・クローチェ・スッラルノ(Santa Croce sull’Arno)にある企業に委託して皮を鞣してもらい、質の高い製品づくりで知られる皮革工房「カルツォライオ・パトリツィオ(Calzolaio Patrizio)」と共同で、古き農業の伝統を洗練した解釈で表現した、小粋な皮革製製品ラインを発表した。

社屋内にはテイスティング・ルームを設け、メニューには菜園でとれた野菜、手打ちパスタそして当然、工房で作られた乳製品が味わえる。限りない幸福感に満たしてくれる空間だ!
パン工房もあって、シチリアのカステルヴェトラーノにある「ムリーノ・デル・ポンテ」による石臼挽き古代小麦を使用し、天然酵母で発酵させ、味わいが深く、消化に優しいパンを焼いている。


農民文化博物館も作った。異なる時代に使用されていた日常的な農機具や道具が常設展示している。そして最新の取り組みとしてオリーブ園と製油所の運営に着手している。

これらの全ての施設をカパッチョ・スカ―ロのヴァンヌーロ地区の敷地に有し、その全てが見学可能だ。ただ、ここで作られる全ての製品は、敷地内の直販店でしか購入できない。そんなオアシスに、パエストゥム遺跡やアマルフィ海岸を訪れるイタリア人や外国人観光客がやってきて、忘れられない味覚の思い出と、他では味わえない体験を得て帰っていく。

「どんなものも作るなら上手に作る。ならばその現場を見せることに問題はないはずでしょう?」
2019年の年間訪問者数は22000人。だが、毎日生産される400キロのヴァンヌーロ社製モッツァレッラを買いに来る常連客は地元の人たちだ。有機農法で飼育され低温殺菌処理も行っていない地元産の水牛のモッツァレッラを求めてカンパーニア州全土から次々に客が訪れる。地元の人だからこそ、このモッツァレッラの味の違いが分かる。

「ヴァンヌーロ以外のモッツァレッラなんて 無に等しい(nulla:ヌッラ)!」と、ちょっとした駄洒落まで常連客の間で言い交されるほどだ。限定生産で、食料品店にもレストランにも卸さないという選択をしたアントニオ。個人客を装い、家庭用とは考えにくい沢山の量のモッツァレッラを欲しがる人がいても売らない。
南イタリアの人間は、怠け者で不精だと批判する人もいるが、ならばここに来て、この「夢多き王子」が実現させたものを見たらいい。ワシントンポストやニューヨークタイムスが一面を割いて紹介した人物。イタリア共和国大統領を選出する際、投票用紙に彼の名を書き込んだ国会議員が5人もいたという。

アントニオ・パルミエリ、自身が好むと好まざるとに関わらず、近代化が生んだ毒をもつ金屑は捨て去り、より良い部分だけを取り入れつつ、舵を真っ直ぐ握ることのできるイタリア男の象徴だ。
現在では、飼育部門をニコーラ(Nicola)に、チーズ工房、ヨーグルト生産、そして皮革製品製造をテレーザ(Teresa)に、飲食部門をアンナリザに、と3人の子供たちに任せ、おそらくは彼も一息つけるようになったのじゃないだろうか。

「アントニオ、貴方が作り上げたその全てを振り返る時、その全てを目の前にした時、一体どんな満足感を覚える?」
そう僕が尋ねると、彼はいつもの笑顔でこう答えた。
「私は働いているのが好きなんです。満足するかどうかは二の次ですね」

彼の言葉に、新型コロナウィルスによる危機に直面するイタリア人の間でよく口にするスローガンが脳裏に浮かんだ。
「Andrà tutto bene.(アンドラ・トゥット・ベーネ:きっと全てが上手く行くから。)」




パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
Caseificio Vannulo

Contrada Vannulo – via Galilei 101
Capaccio Scalo (SA)
Tel +39 0828724765
www.vannulo.it
info@Vannulo.it

 


『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。











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