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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.8 ヴェネト州ヴィチェンツァのサンシュユ(山茱萸)の実

2016.09.26

※ 訳注:*1コテキーノ(cotechino)豚肉、パンチェッタなどに細かく刻んだ豚皮を加えた豚の腸詰です。農民にとって冬場の貴重な栄養源である豚肉を余すことなく利用するために生まれた加工品であることは言うまでもありません。北イタリアを中心に日常的に食べられ、長時間茹でることで豚皮のゼラチン質が独特のコリコリした食感を生むボリュームたっぷりの一品。単品で煮込んでからキャベツと合わせて煮込んだり、ポレンタや茹でたジャガイモなどを添えて食べると冬場の冷えた体を温めてくれます。

連載:イタリア20州旨いもの案内

忘れ去られていた果実を、瓶詰めにして未来に残す




ロゼッラ・フリーゴ(Rosella Frigo通称ローズィー)は、笑顔の時も、瞳は前をしっかりみつめている女性だ。
アズィアーゴ高原にあるロアーナ村に生まれた彼女は、夫が高原を下りて丘に住もうと住処に定めたマロスティカ(Marostica)に今も住んでいる。
城壁に囲まれた美しい町で、中央の広場で人間チェス大会が開かれることでも知られる。



ローズィーには夫と共に描いた夢があった。
彼らの地域に自生し、今は数少なくなってしまった天然果実をガラスの瓶詰にして後世に伝えていくこと。
夫は6年前に他界した。だから二人のやりとりの中から生まれた夢を彼女は手放したくなかった。

自分たちの地域に昔からある果実、だが今ではほとんど忘れ去られてしまった果実に手を加え、おいしいジャムにすることで新たな息吹を与え、この地域の昔を未来に残そうと挑む。



彼女がある一つの瓶を手に説明を始めた。
ヴェネト人らしいひたむきな情熱と集中力の途切れない話しぶりについ聞き入った。
主役となる果実の名は「サンシュユ(corniola:コルニオーラ)」。
ヴェネトの山麓に多く自生するこの果実と彼女のことを、日本でも紹介すべきだと思った。

近くのコルネード・ヴィチェンティーノ(Cornedo Vicentino)地区にはサンシュユを愛する有志グループ「ラ・コンフラテルニタ・デッラ・コルニオーラ(la Confraternita della Corniola)」があり、毎年8月の終わりから9月にかけて全員で森に分け入り、サンシュユの実を摘む。



集めた実は、この村で開催されるサンシュユの全国祭りで使用される他、洋菓子店ではケーキにジェラート、さらにはチーズに添えるモスタルダ・ソース、リキュール、果てはサンシュユ風味のビールといった加工品の生産にも利用されている。
クラフトビール工房「オフェリア(Ofelia)」で作られるこのビールは、サンシュユの鮮やかな赤色に因んで「スカーレット」という名で販売されている。



サンシュユの実は薬効もある。
ビタミンCは果肉100グラム当たり97.4から120㎎と柑橘類の約2倍で、カロチン、ペクチン、タンニンも多く含む。
地域の伝統民間療法では滋養強壮、下痢止めとして用いられ、樹皮はコルニン・アルカロイドを含み強壮剤や解熱剤として煎じて服用する。
果肉はコスメティックとしても有効で、脂性の肌や毛穴を引き締める顔パックなどに使用されている。

コルネード・ヴィチェンティーノ地区に住む、ローズィーの友人シルヴィア・サンティナートは栄養士で、スポーツ選手や肉体労働者を対象に調査を行い、サンシュユから抽出したエキスを毎日一定量、一カ月間服用してもらった。
そして肉体疲労から驚くべき回復力を見せることがわかった。



「この古来からある果実には他にも利点があります」と、シルヴィアが言う。
「子供の栄養補給にピッタリなんです。サンシュユの実に他の地元産素材を用いてホームメイドのおやつにしたら最高です」

木材としても、サンシュユはヨーロッパで最も硬い木材として評価され、歴史を遡ると「ノアの箱舟」にはこの種の木材が使われたとされるし、古代ギリシャでは「トロイの木馬」に使用したのもサンシュユなら、古代ローマを建設したとするロムルスがローマの境界線を引いた槍もまたサンシュユだったと言われている。

面白いところではハリーポッターが手にする魔法の杖もサンシュユ製。
身近なものでは、この地域の酪農家たちが少し前まで干し草を集める熊手に丈夫なサンシュユ材を用いていたし、現在でもパイプを作る最も高級な素材の一つとして珍重されている。

自然に加えてもいい手があるとすれば、天から降る雨だけ






さて、ローズィーに話を戻そう。
彼女はサンシュユの実というと、子供の頃を思い出すそうだ。
プルーンの甘さにサクランボのような酸味、完熟して枝から落ちたばかりのものを拾って食べると、それはそれは甘かった。
だが、待ち切れずに枝からとって食べると酸味ばかりが口に残った。

彼女が暮らしていた農家は、アズィアーゴ高原の雑木林に囲まれ、夏の終わりにサンシュユの実を摘んでいた。
洗って水と砂糖だけで煮る。
「他は何にも入れないんです!」真剣な眼差しで僕に言う。
自然が生んだものだけを瓶に詰め込むのだという。そういえば彼女は果樹園にも人の手は一切加えない。



「加えていい手があるとするなら一つだけ、天から降ってくる雨だけですね」。少し笑って次にこう言った。

「果樹園に自生してる栗の木を調べてもらったら、樹齢が一世紀を超えていると言われました。ところが70年代を過ぎた頃からこの土地に生えている果樹は市場で見向きもされなくなり、この果樹園も栽培放棄されていた。でも、人々から忘れ去られていたがために生き残ったんです」



彼女はその環境をそのままにしておこうと決めた。
人の記憶から置き去りにされた果樹がここで生き残り、今も、その年の天候に応じて違った出来の実をつける。

「私の果樹園にも何十本ものサンシュユが自生しています。ある日、コルネードの村長が、サンシュユを栽培したいと相談に来ました。でも、『サンシュユは触らない方がいい。下手に移植したり、合成肥料を与えればそれまでに培ってきた自然のバランスや生命力が損なわれて死んでしまうから』と答えました。人の手が加わったとたんに自然の力は衰えてしまう。それは許されない過ちです」

他の果樹もサンシュユと同じように大切に見守っている。
バコ(bacò)というブドウは、黒スグリを思わせる独特の味わいがある。
スピノサスモモ(prugnola selvatica)は、小さいがとても甘い。
遅摘みのサクランボ、ドゥローネ(ciliegia durone tardiva)は、一昔前の農家では冬場に消費するジャムの材料として欠かすことが出来なかった。
彼女の手が生み出す何十種類ものジャムや保存食の瓶には、それぞれ特別な思い出が詰まっていた。

小さな植物界を守る、無口でひたむきな番人






「バコぶどうは、夏休みに都会から避暑に訪れていた子供たちが町に戻る頃になると色づきます。別れを惜しんで一緒にその小さな実をつまんだものです。だからその甘さは今も『夏の終わり』や『学校生活の始まり』といったイメージに強く結びついているんです」

彼女には、工房でキャベツを甘辛く煮込む作業の時も過去の記憶として蘇るものがある。
「子供の頃、ロアーナ村の学校の窓から初雪の一ひらが降りるのが見える。その日は、マンマが用意する夕食は決まってポレンタにコテキーノ*1、そして冬キャベツを煮込んだものでした。マンマは味がさっぱりするからとジュニパーベリーを入れて煮込んでいました。その風味がパパのお気に入りだったから。ジュニパーは、祖母がクリスマスの飾りつけ(この地域で今でも話されるチンブロという方言でクラナベット(Kranabet)と言われる)にも使っていました。家中にキャベツを煮込む香りが広がり、私たち子供の記憶には、その香りとクリスマスのイメージが結ばれたんです」

キャベツとジュニパーの瓶詰一つをとってもそんなストーリーが隠されていた。
シナノキの林も同じように意味があるから花を摘んでジャムを作り、路傍で棘だらけの茂みに黒イチゴが色づけば、やはりそこから独特の感受性で甘美を引き出した。

「私の双子の弟が教えてくれました。この近くの教区で神父をしていますが、彼は『どんな欠点を持ったものにも絶対に何か長所があるものだって』言うんです」

そしてラヴェンダー。彼女も彼女の亡くなった夫もフランスに強い憧れを抱いていた。
彼らにとってラヴェンダーの香りは、夫婦や家族の間に生まれる「親密さ」にぴったりの香りだった。

「古代からの恵み」「忘れ去られた果実」などをテーマに果実や野菜の保存食が詰まった瓶。
そのフタを捻れば、たちまちに小さな詩の一篇のような香りが広がる。



世界から消えそうなこの小さな植物界への彼女の強い執着は、僕の心を打った。
アマゾンに住む少数民族や絶滅に瀕する動物と同じように、小さく無力な彼女の果実らもまた地球から姿を消しかねない。
そんな地球の片隅の運命は、無口でひたむきな番人たちの手に委ねられていることがある。僕たちのローズィーもそんな番人の一人だ。



パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it



※ 訳注:*1コテキーノ(cotechino)
豚肉、パンチェッタなどに細かく刻んだ豚皮を加えた豚の腸詰です。農民にとって冬場の貴重な栄養源である豚肉を余すことなく利用するために生まれた加工品であることは言うまでもありません。北イタリアを中心に日常的に食べられ、長時間茹でることで豚皮のゼラチン質が独特のコリコリした食感を生むボリュームたっぷりの一品。単品で煮込んでからキャベツと合わせて煮込んだり、ポレンタや茹でたジャガイモなどを添えて食べると冬場の冷えた体を温めてくれます。



shop data:ローズィーさんの工房兼ショップ
Le Marmellate di Rosi
Via Cassoni 17, 36063 Crosara di Marostica (Vicenza)
Tel +39 0424.1720046
Mobile +39 347.4422570
http://lemarmellatedirosi.it/it/
info@lemarmellatedirosi.it

shop data:サンシュユ風味のクラフトビールを作る醸造所
Birrificio Ofelia
Via Dell’Artigianato, 22
Sovizzo (Vicenza)
Mobile +39 340.4002458(Lisa) +39 347.8240023 (Andrea)
http://www.birraofelia.it/
info@birraofelia.it





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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