究極の給食パンを求めて。第5回「クロフトベーカリー」久保田英史シェフ
給食のパンを焼くことは“第3の喜び”。
2023.07.24
text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo / thanks for L’atelier Brocante
連載:究極の給食パンを求めて。
群馬県前橋市で「クロフトベーカリー」を営む久保田英史シェフは、この6月から藤岡市「ふじおか中央こども園」の給食用のパンを手掛けています。「パン職人として、店のお客さんにパンを渡す喜び、レストランに卸して料理人と関わる喜びに加えて、給食のパンを焼くという第3の喜びがあると気付いた」と久保田シェフ。そして、「それはとても大事な仕事」と語ります。今春、徳島県神山町に開校した「神山まるごと高専」にパンを納めるフードハブ・プロジェクトのパン製造責任者・笹川大輔シェフがクロフトベーカリーを訪ね、語り合いました。
久保田 英史(くぼた・ひでふみ) 「クロフトベーカリー」オーナーシェフ(写真・左)
1978年群馬県生まれ。2001年、東京農業大学農学部林学科卒業後、軽井沢「ブランジェ浅野屋」に1年半、 大阪「ブーランジェリーパンセ」(閉店)に4年、うち後半の2年はスーシェフを務める。2007年渡米し、ロサンゼルス「Boule Atelier」(閉店)のシェフベイカーとして1年半、「Comme Ca Bakery」(閉店)のシェフベイカーとして半年働く。帰国後、オーダーメイドの石窯を製造する「増田煉瓦」にてテクニカルベイカーを3年務め、2012年12月に「CROFT BAKERY」をオープン。コロナ前の4年間はロサンゼルス「BREADBAR」のレシピ開発に携わり、年2回各1週間ずつ渡米していた。
笹川 大輔(ささがわ・だいすけ) 「フードハブ・プロジェクト」パン製造責任者
1985年生まれ、東京都出身。紀ノ国屋フードセンターで腕をふるったパン職人の父を持ち、自身も18歳からパン職人の道へ。2017年、妻子と徳島県神山町に移住。農業チームと連携しながら、神山産の小麦や農作物を使ったパン作りに勤しむ。高齢者も食べやすい「超やわ食パン」など地域住民の暮らしに寄り添う姿勢を徹底する。
娘の「パーカーハウスロール」は父の「くちびるパン」だった
――久保田さんは、給食パンにまつわる印象深い体験をされているんですよね?
久保田 ええ。5年ほど前ですが、娘の給食の献立表を見たら、「パーカーハウスロール」という文字が目に飛び込んできたんですね。「何、このカッコいい名前のパン!?」と思って、どんなパンなのかを娘に尋ねると、どうやら僕が小学生の時に「くちぴるパン」って呼んでいたパンらしい。
笹川 くちびるパン?
久保田 当時の献立表には単に「パン」としか書かれていなかったから、正式名称がわからなかった。くちびるみたいな形をしているので、僕は勝手に「くちびるパン」と呼んでいたんです。僕はそれが好きだった。そのパンが出る時のおかずは決まってハンバーグで、僕たちは誰に何を教わるでもなく、くちびるの合わせ目から開いて、ハンバーグを挟んで食べていました。
久保田 30年くらい経って、あのパンが「パーカーハウスロール」って名前だったことを、子供の献立表で知ったわけです。
笹川 由来がありそうな名前ですね。
久保田 ウィキペディアで調べたところ、ボストン最古のホテルのひとつと言われる「パーカーハウスホテル」で1870年頃に誕生したパンと書かれていました。諸説あるようですが、パンを作っていた職人が怒って成形途中の生地を投げ付けたところ、ペタンと二つ折りになってしまった、そのまま焼いてみたら思いのほか良かった、というもの。1880年頃からはレシピブックにも登場して広まったようです。給食で食べていたのがそんな歴史あるパンだったなんて、衝撃でした。日本には、終戦直後、アメリカから給食のための小麦粉と脱脂粉乳が支給された際にパンの製法も伝えられたはずで、その中にパーカーハウスロールのレシピもあったのでしょう。
笹川 僕たちの世代が作るパンのレパートリーにはないですよね。
久保田 ええ。戦後から焼き続けてきたパン屋さんたちも、おそらく由来を知らないだろうし、今、光を当てないと焼き継がれないパンじゃないかと思うと、もったいない気持ちになります。僕が食べた「くちびるパン」と娘が食べた「パーカーハウスロール」は同じパン屋さんが作っているはずなんです。僕が小学生の時に社会科見学に行ったパン屋さんで、少なくとも30数年、たぶんもっと長く作り続けられているんだなぁと思うと感慨深い。
――笹川さんの給食パンの思い出は?
笹川 僕は東京都福生市で生まれ育ったのですが、給食のパンの記憶があまりないんです。というのも、父親が紀ノ国屋フードセンターで働くパン職人で、父が持ち帰ったパンの印象のほうが強くて。プンパニッケルとかホワイトサワー種(小麦粉の発酵種)のカンパーニュとか、シナモンロール、アメリカンスイートロール・・・。プンパニッケルにサーモンとタマネギをのせたり、今で言うスモーブロー的なものを夕食に食べたりしていました。給食のパンで覚えているのは、揚げパンとブドウパンくらい。
久保田 揚げパン! 給食パンと言えば揚げパンが必ず話題にのぼるけれど、僕は揚げパンの経験がない。食べたかったなあ。
全粒粉を配合したハード系のパンを子供たちに
――今春、「神山まるごと高専」が開校して全国的に話題になっていますが、フードハブ・プロジェクトが食事を担当しているんですよね?
笹川 はい。全寮制なので、土日を除く朝昼晩の3食をフードハブが手掛けています。パンの出番は夕食では月に2回、朝食では4~6回。朝食には定番の「いつもの食パン」を、夕食には料理長が立てたメニューに合わせて、チャバタやフォカッチャを納めています。
――久保田さんも給食パンの取り組みが始まったそうですね。
久保田 群馬県藤岡市の「ふじおか中央こども園」に、この6月から納めるようになりました。学童クラブや児童発達支援の施設も営み、新潟や長野の農家から農薬不使用のお米を取り寄せるなど給食のあり方にもこだわりを持つ園です。元々、お店のお客さんだったのですが、お声がけいただいて、園の思いにお応えしたいと強く思いました。このシリーズを読んで給食への興味が湧いていたこともあり、「僕もその機会を得られるのか!」とうれしくて。
笹川 どんなパンを作るんですか?
久保田 まず最初に考えたのは地元の小麦を使うことでした。顔を知っている農家の農薬不使用の小麦を使おう、と。彼らは昔ながらの品種「農林61号」を栽培するケースが多く、推奨品種ではないためJAの扱いにならないから、手売りで販売する。それらの麦を生かしたい。しかも全粒粉を多めに配合しよう。アレルギーの制限もなくしたいので、牛乳も卵も加えずに焼こう。そう考えた。高崎市の「すみや農園」と藤岡市の「福田農園」が僕にとってのレギュラーの農家さんなのですが、昨年は大粒の雹(ひょう)が降るなど不作ということもあって、太田市の「上原ファーム」の麦も使わせていただきながら、製造計画を組み立てています。今はまだ農林61号の全粒粉が40%、群馬県産ゆめかおり5%、灰分値の高い北海道産小麦粉55%という配合ですが、できるかぎり地元産100%に近づけていきたい。
久保田 子供って、大人が思うより、おいしければ硬くても食べる。経験値がないからこそ、ハード系でも受け入れられるんじゃないかって思う。とはいえ、子供が食べやすいように、粉の甘味を引き出した2種類の湯種を使って焼き上げています。
笹川 子供が食べるのに絶妙なラインですね。ほどよい甘味とほどよい塩味が行ったり来たりする感じ。
久保田 今、日本のパン屋さんが湯種を多用していて、僕も使っているのですが、本当は、湯種を使いすぎるのはよくないなと思っています。日本人にとっておいしくなる、食べやすくなるんですね。味覚のレーダーチャート上でバランス良く整った形になる。でも、ヨーロッパのパンって、どこかが突出していたり、えぐれていたり、バランスが良くないことが多いんですよね。ルヴァンが強くて酸っぱいとか、全粒粉が濃くて渋いとか。向こうの人はそれを食べた瞬間に、それまでの経験を元に、このパンには肉だなとか、赤ワインが合うなとか、チーズを合わせようとか、欠けた部分を補うような料理の組み合わせを思い浮かべる。欠けているほうが食の楽しみを広げてくれて、相乗効果の味わいを見出すことができる。パンだけでおいしいバランスの取れた味わいにしてしまうことは、もしかしたら、小さな親切大きなお世話なんじゃないかって。
笹川 わかります。僕が子供の頃に家で食べていたプンパニッケルがそうでしたから。
久保田 そう思うようになったのは、北海道の「中川農場」の「Bles de Population(ブレ・ド・ポピュラシオン)」という名前の粉と出会ったからでした。ライ麦・古代小麦・現代種が入り混じった区画で収穫された、「多様性の麦」という意味の粉なんです。性質の異なる麦が混ざり合っていますから、当然、作る上でも味わいの上でも難易度が高い。最初、湯種で作っていたんですね。でも、焼きながら、僕はこの土地の味を本当に出せているんだろうかって、疑問に思えてきた。湯種フィルターをかけることで土地本来のワイルドな味を表現できていないと気付いた。
笹川 湯種の長所が短所にもなる。
久保田 今はまだ恐る恐るのところがあって、こども園に納めるパンに湯種を使っているけれど、もしかしたら湯種を使わずに焼いたほうがいいかもしれないし、子供たちには湯種の味に慣れないでほしいとも思う。
パン屋の仕事は社会のインフラ
――国産小麦、ライ麦、古代小麦など麦の種類が増えて、全粒粉がよく使われるようになって、話題の製法も取り入れられて、日本のパン職人の探求は目覚ましい。にも関わらず、給食のパンにそんな最前線の活動が反映されないのはもったいないですね。
久保田 大枠を変えるのはむずかしい。でも、僕たちパン屋がこども園や私立の学校の給食を手掛ける中で、少しずつ変えられる部分もあるんじゃないかな。
笹川 高専の給食はまだ始まったばかり。このシリーズの第1回で藤原辰史先生が「僕の理想は、4時限目が毎日家庭科で、自分たちでも給食の一部を作るんです」とおっしゃっていましたが、年に一度でいいから、高専でそれができたらいいなと思っています。以前、神山にある城西高校ではそれに近い経験をさせていただきました。理科と家庭科の学習要素を取り入れ、生徒たち自身が栽培した神山産小麦を使ってパン作りの授業に挑戦したんですね。
久保田 店を訪れてくれるお客さんにパンを渡す喜び、レストランに卸すことでプロの料理人と関わる喜び、その2つがパン屋の喜びだと思っていたけれど、今回、給食のパンを焼くという第3の喜びがあると気付いた。そして、それはとても大事な仕事だって。欧米において、万人の日々の食卓を担うパン屋の仕事には“社会のインフラ”とも言える意味合いがあります。パン屋の仕事は社会が共有する資本でもある。給食のパンは、そんなパン屋の性格を存分に発揮するものであるはずです。僕たちが給食のパンを焼くことは、農家さんたちにもモチベーションになるんじゃないかとも思うし。こども園で僕のパンを食べた子たちが小学校に上がって給食のパンを食べた時、どう感じるのかなって、ちょっとわくわくします。
笹川 すごく興味ありますよね。
◎CROFT BAKERY(クロフトベーカリー)
群馬県前橋市日吉町2-5-1 みずき館1F
☎027-257-9052
11:00~18:00
日曜、月曜、木曜休
https://www.facebook.com/CROFTBAKERY/
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