山に生き、山を活かすシェフたち。世界が注視する“山岳地帯のガストロノミー”
2022.10.31
text by Yuki Kobayashi
国土の7割を森林が占める日本。中山間地域の高齢化・過疎化が進むこの国にヒントを与えてくれそうな料理学会が、2022年9月14〜16日、アンドラ公国で開かれた。“山岳地帯のガストロノミー”をテーマとする「Andorra Taste, アンドラ・テイスト」、初開催である。世界の山岳地帯でレストランを営むシェフたちが、3日間にわたって、独自の環境の生かし方や営業の工夫、山の料理の優位性を熱く語った。
山岳地帯は飲食業にマイナスか?
アンドラ公国とは、フランスとスペインの国境に位置する人口わずか8万人の国。国土の98%が山で占められ、夏冬のリゾート地として知られる。金沢市ほどの面積に、アンドラノ(アンドラ出身者)、スペイン人、フランス人、ポルトガル人などが居住し、年々増加する外国人居住者にはYouTuberやサッカー選手など、隣国の税金の高さから「避難」してくる富裕層が少なくない。隣国からアンドラの首都に通う労働者も多い。
同国のような、大都市からのアクセスが不便で、素材の調達が限られている環境は、これまで飲食店にとってデメリットと思われてきた。「アンドラ・テイスト」はその常識を覆すために企画されたといっていい。
「山こそが料理」とブラスは語る
今回、フランスの中央高地オーヴェルニュ地方でレストランを営んできたミシェル・ブラスが特別功労賞を受けた。野山の素材をふんだんに用い、皿の中に自然を描き出す彼の手法が21世紀の料理界に与えた影響は計り知れない。
「この学会は山岳地帯の料理がテーマですが、私にとっては山こそが料理です」と講演を始めたミシェル。「山岳地帯の料理とは、自分で採集すること、自然の変化を敏感に察知する能力を身につけること」と言う。ジョギングの最中、香水を付けた誰かが後ろから付いてきたと思ったら、植物だった、という逸話を披露しながら、自然とシンクロしながらメニューを構築するのが山のシェフであり、それこそが本来の料理の仕方で、昨今ではその手法が失われつつあると嘆く。
幼少期、母親が手元にある素材からすばらしい料理を生み出してきたことを回想し、料理人は植物の発芽から生育、結実まで自然のサイクルに合わせて生きるべきで、その素材は徹底的に活かしきらなければならないと説いた。
「山岳地帯の料理は知性である。身の回りの有用な素材を尊重し、探求して、最大限活用し、無駄にしない。自然はあなたを誘い、自然はあなたを愛する。料理はそんな愛の表現だ」
オーヴェルニュも昨今は冬が短くなっているという。自然と共存してきた彼の料理も気候変動には逆らえない。
ピレネー山脈の伝統の技が付加価値となる
アンドラ公国は長い間、交通の不便さ(空路や鉄路で入国する方法がなく、スペインのバルセロナかフランスのトゥール―ズから直行バスで約3時間)ゆえに周囲から切り離されがちであった。山岳部のため国土が農地に向かず、農業は畜産が中心。19世紀にタバコ栽培が盛んになり、1970年代になると観光ブームと共に免税店が大量に登場して急激に近代化していったという歴史を持つ。
伝統的なボルダ(放牧者や農耕者、家畜の休息小屋)で伝統料理のレストラン「Borda Raubert ボルダ・ラウベレ」を営むホセ・マリアは、「今やセレブが訪れるイメージがありますが、以前はまったくの村でした」と笑う。
アンドラの標高差は激しく、スペイン国境で標高800m台、最高峰コマペドロサ山は2942m。耕作地は限られ、野菜の種類は少なく、魚は塩漬け。「ボルダ・ラウベレ」の人気料理のひとつは、ジャガイモとフダンソウをくたくたになるまで煮て潰し、一晩寝かせた「トリンシャ(トリンチャット)」だ。豚の血のソーセージやチョリソ、唐辛子を添えて出す。チーズ、肉加工品、共に自家製である。昔ながらの暮らしの技が付加価値となって、レストランの人気を不動のものにしている。
徹底したサステナブルな生き方を子連れで示す
長年、様々な料理学会を見てきたが、子供を背負って料理するシェフは初めて見た。スウェーデンでオーベルジュを経営するデンマーク人夫婦フレミング・シュット・ハンセンとマッテ・ヘルベック。子連れ参加は彼らの生き方からすれば当然であり、計算でもあるのだろう。2人は、料理よりも生き方を示しにきたのである。
2人は2016年、「自然の中で生きることこそが贅沢」というコンセプトを伝えるため、コペンハーゲンから2時間45分の森の中にオーベルジュ「Stedsans in the Woods ステッドサンズ・イン・ザ・ウッド」をオープンした。営業は土曜の昼夜2回のみ、何が提供されるかは始まるまでわからない。シェフ自身が食材を近隣の畑から集めてきて、食材に最も適した調理法を施している。
レストランに隣接する宿泊用の16の小屋に電気はない。採光のための大きなガラス戸がつき、敷地の川辺にはサウナやヨガのスペースがある。トイレはコンポスト式。レストランの調理は炭火のみ。客同士が大テーブルでロウソクを囲み、家族のように食事を分け合い、より良い世界を語り合う。店名は「所属する感覚」という意味だというが、客は夫婦の家に所属し、ひいては自然に所属していることを実感する。レストランというより生き方を探求する集会のような空間かもしれない。バイオダイナミック農法で野菜を栽培し、地域で小売もする。
フードスタイリストの妻のマッテがコンセプトを練り上げ、困難を覚悟で夫婦で起業した。学会当日、農園から持参した多種類のトマトのサラダを調理していたが、夫の背中で子供がぐずると、妻がすかさずトマトを一切れ渡すという仕草すら、彼らの日常そのままだ。徹底したサステナブルな生き方が、地域住民たちにも影響を与え始めているという。
チリの山岳民族の食材を使うシェフ
チリの首都サンティアゴで2007年から「Boragó ボラゴ」を営むロドルフォ・グスマンは、山岳地帯に住む先住民マプチェ族の食材を使って注目を集めてきた。サンティアゴの標高は500mほどだが、食材は4000m級の山岳地帯からやってくる。
富士山よりも標高が高く、砂漠のような景色の中から野草を収穫しているのは、レストランの協力者パトリシア・ロレナだ。薬草の知識豊富な祖母と共に5歳から山に登り、チリ人さえ聞いたことのないサイランポ、リカリカ、チャニアルなどの植物を集め、ロドルフォの店へ届ける。こうした協力者はチリ全土で200人を数えるという。
チリでは外国料理が評価されて流行るという傾向が否めず、「今こそ地域素材を発掘し、古くて新しいものを作るべき」とロドルフォは主張する。マプチェ族の知識と伝統をリスペクトしながら、儀式のように食材を扱う彼の料理は、抽象的で神秘的だ。若い頃にはルイス・アンドーニの「ムガリッツ」で修業したというが、抽象的な話し方や独特の世界観はその影響かもしれない。
地元の生産者を掘り起こし、誇りを与える
スロベキアの山間部でレストラン「Hiša Franko ヒサ・フランコ」を経営し、The Best Chef Awards 2021で最優秀シェフの一人に選ばれたアナ・ロスは、戸惑うことなく山間部のレストランのリアルを伝えた。
大学を卒業したアナが嫁に来るまで夫の家族のレストランでは、イタリア国境に近いこともあり、パスタばかりを出していたという。伝統食材や地域食材は眼中になかった。彼女が土地の素材で料理するようになると、客は激減したが、それでもアナは100軒以上の仕入れ農家と関係を築いてきた。山間部のため近隣農家ですらアクセスは容易でなく、協力者を見出すのに何年もかかったという。歯に衣着せず彼女は言い放つ。「こうした小さい地域の農家は自己肯定感が薄いんです。自分たちの作物がレストランでおいしくなると思っていない。役に立つとも思わないのです」
レストランのある集落は4.6㎢。人口は500人を超える程度。ようやく話がついても、冷蔵や衛生に対する感覚や慣習の違いから一度きりで発注しなくなった農家もあるという。
2020年にミシュラン二ツ星を獲得。持ち前のパワーを発揮して、バイオダイナミック農法で耕作する農家の協力を得たり、スロベニア首相をも巻き込んで国家的な地域発展のプロジェクトにも関わっている。
レストランが地域社会の車輪になる
山岳国家であるブータンが「Green Buhtan,Clean Buhtan」を掲げ、都市化をまぬがれた自然環境の優位性を訴えたことがある。国土が緑に覆われているため、CO2を排出するのではなく、CO2を吸収している。プラネタリーヘルスが謳われ、地球環境の保全が最優先される時代、交通アクセスの悪い山岳地帯はむしろサステナビリティ的にポイントが高い。まして、自然をバックグラウンドとして成立する飲食業にとって、山岳地域は絶好のロケーションであると捉える思考回路になってきた。
アクセスの悪い場所へわざわざ出向くことに価値を感じる富裕層に対して、地元固有の環境を生かし、地域の素材を活用して、質の高い料理とサービスを提供することで、利益を地域に落とす仕組みの可能性は、どこの土地にもあるはずだ。レストランは地域社会の大きな車輪になる要素が詰まっている。
◎Andorra Taste
https://www.andorrataste.com/